『行動経済学が勝敗を支配する 世界的アスリートも“つい”やってしまう不合理な選択』は、サッカーや野球、ゴルフなど人気スポーツのデータを使って行動経済学をより深く理解しようと試みる内容で、同分野の他の入門書とは一線を画しています。なぜスポーツなのか? じつは、行動経済学の研究とスポーツのデータは相性抜群なのです。本書のねらいと併せて、著者の今泉拓氏が「はじめに」で解説しています。

スポーツのデータは人間の心理が凝縮された宝庫

行動経済学では、あらゆるデータが分析の対象となります。分析によく使われるデータとしては、企業や自治体が公開しているデータや、研究者が研究室で実験して取得したデータが一般的です。

スポーツのデータは、このようなデータに比べて「正確性」「明示性」「長期間の蓄積」の点で優れている面があります。

1. 正確性

正確性とは、記録が改ざんされたり、恣意的に解釈されたりする可能性が少ないということです。たとえば、野球の得点数や安打数は公式のスコアブックを確認すれば誰でも同じ結果を得ることができます。近年のスポーツでは映像が残っていることも多く、データが正しいかどうかを確認するのも容易です。

2. 明示性

明示性とは、基準が明確に示されているということ。たとえば、サッカーのルールはたびたび変更されていますが、変更される都度、変更点が一般のファンもわかるように公開されています。どのような基準でデータが取得されたかがわかりやすい点で、スポーツのデータは行動経済学の研究に適しているといえます。

3. 長期間の蓄積

人気のスポーツでは、かなりの期間にわたってデータが蓄積されています。たとえば、野球のメジャーリーグやサッカーのイングランド・プレミアリーグ(前身のリーグを含む)では、100年以上に渡って、試合のスコアや出場選手の成績が公開されています。人間の意思決定が長期間でどのように変化したかを調査したい場合、スポーツのデータはもってこいです。

スポーツのデータは、行動経済学の研究において人間の心理が凝縮された「宝庫」ともいえるのです。

一流アスリートも逃れられない「認知バイアス」

「プロゴルファーは『損失回避バイアス』で年間1億円損している」
「サッカーの応援は審判に『同調効果バイアス』を生み出し年間2点分の働きをする」

これらは、スポーツを題材とした行動経済学の研究成果です。プロのアスリートや審判でも、“つい”不合理的な選択をしてしまうことが知られています。

行動経済学は心理学と経済学を融合した学問で、人間の不合理な意思決定(≒認知バイアス)を研究します。代表的な研究者が続々とノーベル賞を受賞するなど、近年、注目を集めている分野です。

しかし、行動経済学の理論は複雑な前提を伴うことが多いため初学者には難しく、だからといって簡単に解説しすぎると、“わかったつもり”になりがちで、実生活やビジネスに応用できないというジレンマがあります。

私は普段、スポーツを題材に行動経済学を研究しています。スポーツは人間の心理が色濃く反映し、正確なデータが豊富で、行動経済学を研究するのに適しています。さらに、スポーツ好きな方なら一度は経験したことがある「どうしてあの場面で○○(のプレー)をしてしまったんだ!」といったケースは、実生活やビジネスでも起こり得る行動心理が少なくありません。

そこで、日々スポーツを題材に行動経済学を研究している私だからこそ執筆できる、難しい理論を解きほぐす1冊を目指しました。

本書のおもな特徴は以下の3つです。

1. スポーツ事例と先行研究で各章1つのトピックを深掘り

各章1つの認知バイアスについて色々なスポーツの研究を通して深掘りしていきます。章末の「まとめ」とあわせて読むことで、“わかったつもり”で終わらない、行動経済学への確かな理解が深まるようになっています。

2. 認知バイアスによる影響や損失額について数字で示す

認知バイアスによって、誰が影響を受け、どれくらい損をしているか具体的な数値で示します。さらに、バイアスの克服法も紹介しています。アスリートやコーチはバイアスを可視化し、克服することで競技力の向上につながることが期待されます。

3. 多種多様なスポーツで、実際の事例を紹介する

豊富なスポーツ事例とその背景にある行動経済学的なメカニズムを取り上げます。誰かに話したくなる話題や、試合観戦に役立つ知識が詰まっています。スポーツ好きの方は、ぜひ好きなスポーツや興味のある事例からご覧ください。

70以上の文献を紹介しながら、「損失回避バイアス」「ナッジ」といった6つの主要トピックについて、豊富な図表とスポーツの事例を通して理解を深めていきます。

また、スポーツを例に紹介することで、「なぜバイアスが発生するのか」「どのような状況で発生するのか」「誰がどの程度影響を受けるのか」がわかりやすくイメージできます。

スポーツの熱狂を行動経済学の冷静な視点から分析することで生まれる、新しい驚きや発見を楽しんでいただければと思います。

今泉 拓(いまいずみ・たく)

東京大学大学院学際情報学府博士課程所属、東京スポーツ・レクリエーション専門学校非常勤講師(スポーツ分析)。1995年生まれ。東京大学理科2類に入学、教養学部に進学しコンピュータサイエンスを専攻。大学3年生のときに、データスタジアム株式会社で野球データの分析を開始。以降、株式会社ネクストベースにて野球データの分析を担当するなど6年間データ分析に従事。東京大学大学院学際情報学府では、認知科学・行動経済学を専攻。データ分析と大学での研究をもとに、行動経済学とスポーツ分析を掛け合わせたスポーツの発展や技術向上に力を入れている。主な実績に、ARCS IDEATHON(ラグビーの傷病予測コンペティション)優勝、第18回出版甲子園準優勝、スポーツアナリティクスジャパン2022登壇など。