経営者や研究者、医師、スポーツ選手……名だたるリーダーたちが愛読する中国の古典『易経(えききょう)』。あらゆる事物の変化に対応できる先人の叡智であり、人々の喜怒哀楽に寄り添い、「いかに生きるか」を示してくれる人生のバイブルです。時代を超えて読み継がれてきた名著のエッセンスを、易経研究家・小椋浩一さんの著書『人を導く最強の教え『易経』 「人生の問題」が解決する64の法則』からご紹介します。
完成は乱れのはじまり
「この世のすべてから学べ」と説く『易経』は、この世の終わりを想定していません。世界は永遠に変化し続ける、という「循環論」だからです。この点でブレがありません。だから「完成」をどう捉えるかと言えば、そのものの出来栄えより、達成感の裏にある当人の「油断」や「慢心」の心配です。
世の中は変化し続けます。ある環境に最適だったものは、環境の変化とともにズレが生じます。ビジネスにおける「過剰適合」のリスクです。たとえば、レコードがCDに置き換わった結果、レコード針は売れなくなりました。それがいくらトップメーカーの優れた商品であっても、です。
このように、ビジネスにおける環境変化は残酷です。その変化に対応できない事業は、もはや世の中から必要とされません。
「終わり良ければすべて良し」ではない
1811年から1817年頃のイギリスで起こった、「ラッダイト運動」と呼ばれる機械破壊運動も同じでした。産業革命で繊維工業の機械が発明されて職を失った手工業職人たちが起こした悲しい暴動です。
何が悲しいかと言えば、それがあまりに無意味だからです。 進んでしまった時計の針はもう戻せません。変化を拒みムダな抵抗をするより、変化に合わせて対応を変えるべきです。それができる人ほど成長し、どんどん状況が良くなっていくのだと、『易経』は説きます。
水火既済[すいかきせい]
……すでに整って完成する時。
完成は乱れのはじまりでもある、の意。
したがって「終わり良ければすべて良し」で満足するな、ということです。平らになればいずれ傾く、整ったならいずれ乱れる、その運命は目に浮かぶように予想できます。
だからこそ、「完成を見て慢心するな。余計な欲をかくな。すぐ次の準備に取り掛かれ」という教訓になります。これは「治にいて乱を忘れることなかれ」(平和になったからと油断するな)という警句です。『易経』が願うのは、われわれ自身の絶え間ない成長だからです。
成長を阻む「慢心」というリスク
一つの仕事をやり遂げた、一人前になった、といった達成感はすぐに欲に変わります。「自分には、もっと良い仕事があるのではないか?」「もっと待遇の良い会社があるのではないか?」と考えるようになります。
これについても、『易経』は戒めます。ぐっと我慢せよ、思いとどまれ、と。それはなぜか?
完成とは過去の話であり、まだ次への準備は整っておらず、さらに慢心のリスクまでがあるからです。
「リーダーシップ・パイプライン」というリーダー育成のアプローチがあります。アメリカのGE社やディズニー社などの取り組みで話題になりました。企業が発展を続けていくために、必要となるリーダーを内部育成していく仕組みです。
内部育成は日本企業では当たり前ですが、アメリカの企業ではむしろユニークで、進歩的な取り組みです。それらは単なる模倣ではなく優れた発展形であり、ロジカルに定義付けて進められている点において、逆に日本企業にとっても学びの多いものです。
「優秀なスタッフをマネージャーに昇格させるのはリスクだ」という考え方もその一つです。
まず、スタッフとして優秀だからと言って、マネージャーとしても優秀であると、果たして言えるのでしょうか? 決してそうは言えません。職種が全然違うからです。
スタッフは、与えられた仕事を自分できちんとこなすことができれば、成果と認められます。一方、マネージャーは、自分の仕事をこなすだけでなく、仕事をほかの人に任せる役割があります。ですから、仕事の与え方の質が問われますし、部下をいかに育てるか、その成果が問われるのです。
つまり、優秀なスタッフを昇格させることは、下手をすれば優秀なスタッフを一人減らして未熟なマネージャーを一人増やすことになり、会社にとって大きなリスクです。本人にとっても、スタッフの時は優秀だと褒められたのに、マネージャーになって突然「未熟だ」と叱られたら、モチベーションを落としかねません。『易経』も、まさにその点を指摘しているのです。
ほかでも通用する新たな学びに目を向けよう
『易経』は成長のステップとして、昇進や昇格、独立や転職自体は否定していません。タイミングが大事だ、と言っているのです。では、それはいつが良いのでしょうか?
学校の卒業式も、終わりではなく新たなスタートでもありますよね。企業の昇進昇格制度にも、「卒業方式」と「入学方式」があります。前者は現職の成果で昇格させる方法、後者は昇格先の要件に適合するかどうかの評価で昇格させる方法です。
『易経』は後者の「入学方式」を勧めます。つまり、昇進や昇格、独立や転職の準備とは、今の仕事を完成させることや現職で一人前になることよりも、新たな仕事に向けた学びが十分にできたかどうかだと言います。
以上のとおり、『易経』は、われわれの成長を長い目で見つめるがゆえに、「仕事が完成しても、心は常に未完成でいる」心構えの大事さを説いているのです。
●『易経』からの問い●
「うまくいった仕事」で次に活かせるどんな学びを得ましたか?
著者プロフィール:小椋 浩一(おぐら こういち)/易経研究家
1965年、名古屋生まれ。某電機メーカー経営企画部プロジェクト・マネジャー。名古屋大学大学院経営学博士課程前期修了。早稲田大学商学部卒業後、上記電機メーカーに入社。海外赴任を経て会社を「働きがいのある会社ベスト20」に導くが、キャリアの絶頂期に新規事業で大損失を出し居場所を失う。その後『易経』との出会いで人生観が180度変わる。現在では全社横串の次世代リーダー育成の傍ら、社内外でセミナーや講演を多数行っている。