創業30年で通信機器世界トップの座に上り詰めたファーウェイ。アメリカ政府の制裁によって苦境に立たされ、メディアでは負の側面ばかり強調されるが、そもそもなぜ、世界が恐れるほどの急成長を成し得たのか。その経営の本質に迫った書籍が、『ファーウェイ 強さの秘密 任正非の経営哲学36の言葉』だ。同書のポイントを紹介する。

文:日本実業出版社WEB編集部

報道からは見えてこない巨大企業の「実力」

中国の通信大手ファーウェイに対して、アメリカ商務省による半導体の供給規制が発効したのは2020年9月15日である。あまり知られてはいないが、この日は同社にとって33回目の創立記念日だった。

この制裁措置により、同社のスマートフォン事業は壊滅的な打撃を受けた。同事業だけでなく、経営の存続を危ぶむ声さえ上がっている。少なくとも、一時は主導権を握るとされた5G(第5世代移動通信システム)関連市場で大幅な後退を強いられるのは間違いない。

熾烈な米中対立を象徴するように同社は窮地に陥ったが、同社がなぜアメリカから標的とされるまでに成長できたのか、その企業としての実力や経営の実態が注目されることは、これまでほとんどなかった。同社があえて非上場を貫き、3名のCEOが輪番制でトップを務めていることや世界170か国に擁する約19万人もの従業員のうち、じつにその半数が研究職であると、どれほどの人が知っているだろうか。

任正非という創業者の人物像についても、同様だろう。

1944年生まれの任正非(レンジェンフェイ) は、ジャック・マーや李彦宏といったカリスマたちの父親世代にあたる。彼は、かつて人民解放軍の軍人であった。

やがて、軍人時代の仲間たちとファーウェイを創業した。当初は、電話交換機や火災報知器を製造していたという。だが、2Gで世に出て、3Gで追いつき、4Gで追い越し、5Gでリードする、といわれた急成長により、同社は売上高14兆円もの巨大企業に変貌した。

その実態を知るうえで、任正非の経営に着目する意義は小さくないに違いない。同社のマネジメントモデル研究において第一人者とされる著者の『ファーウェイ 強さの秘密』から、その特徴的な経営手法を紹介する。

「顧客第一主義」を実現する現場起点のマネジメント

同書の日本語版監修者である楠木建氏(一橋大学大学院教授)も指摘するように、任正非の経営哲学は「以客戸為中心、以奮闘者為本」というシンプルな言葉に尽きる。この言葉は「顧客第一主義、奮闘者が基礎」と理解される。

いずれも平凡で、同様の理念を掲げる企業は世界中に掃いて捨てるほどあるが、現実の企業活動におけるこの方針の実践にこそ、任正非のマネジメントの要諦がある、と楠木氏はいう。

顧客第一主義の実践として、まず独特の社内呼称が挙げられる。

同社では、深圳の本社を「本社」と呼ぶことを禁じて「事務所」と呼ぶ。価値の源泉はあくまで顧客にあるため、顧客との接点こそが第一線であり、その後方支援の拠点にすぎない本社は第二線である、という考え方が反映されているのである。

また、役職設計においても第一線が重視され、各国法人の代表を「総代表」、地区責任者やエリア合同会議の責任者を「総責任者」と呼ぶなど、第一線には「総」がつく役職が多い。同じ役職の場合は、第一線のほうが第二線より半クラスから1クラス程度、高くなる。深圳で「部長」と呼ばれる人物が、じつは1万人もの従業員をマネジメントする立場にあるケースさえ、あり得るという。

さらに、同社のユニークなワークフローからも、前述の理念の実践を読み取ることができる。

多くの企業では、司令塔としての本社に権限が与えられ、その判断にもとづき組織が動く。だが、同社では逆に現場が起点となって組織を動かす。つまり、本社が「押す」のではなく、現場が「引く」メカニズムが働き、人材や予算が配分されるのである。

任正非は、こうしたしくみを「第一線が武器を要請する」と表現する。砲声が聞こえる現場の指揮所が権限を与えられ、どう戦うかを決断し、実行するのである。

だが、武器は多ければ多いほどいいと考えるのが現場である。経営資源は限られている以上、現場の局所的な判断より、本社の俯瞰的な大局観こそ重視されるべきではないのか。そうした従来のセオリーに対して、任正非はまず顧客に近い人の話を聞き、彼を信じるべきだと主張している。そのうえで、

「事が終わってから検証し、弾薬を浪費していたと判断したら、後で貸しを清算すればよい」(同書35ページ)

という。総括と検証によって生じるある種の緊張感が、ワークフローの「引く」メカニズムを適切に機能させるのである。

ナレッジワーカーを刺激する報奨制度

一方、任正非の経営を象徴する「奮闘者が基礎」の実践として、著者は同社の報奨制度に注目している。

いわゆるBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)との人材獲得競争もあって上昇してはいるものの、同社の基本給はあまり高くなく、業界水準の上位25%に入るレベルだという。収益に連動した賞与などの変動給の比率を高めることによって、キャッシュフローに対する財務的な圧力を低減させているのである。

だが、充実した報奨制度が優秀なナレッジワーカーたちを刺激する。著者は、そうしたしくみを「幸せを分かち合う文化」と呼ぶ。特徴的な制度として指摘されるのは、長期的報奨としての自社株保有制度「ファントム・ストック(架空の株式)」や中長期的報奨に位置づけられる賞与分配スキーム「TUP(時間単位計画)」である。

前者により、同社では従業員の半数にあたる9万人が自社株を保有する。その年間収益率は、毎年20%を超えるという。後者については、しくみが複雑で理解しづらいが、収益の獲得権を事前に与える先物オプション的な報奨と考えていい。

こうした報奨制度は価値を創造した従業員に手厚く報いる一方、社歴が報酬に連動する年功序列的な給与体系を否定する。その意図を語るとき、任正非は「雷鋒に損はさせない」と話す。

雷鋒とは60年代前半に21歳で事故死した人民解放軍兵士で、勤勉さや自己犠牲の精神の象徴として、共産主義青年団が政治宣伝に利用してきた。この著名な若者のように勤勉で、自己犠牲をいとわない従業員が報われないまま組織に埋もれることはない、というのである。任正非は、報奨制度を通じて従業員にフェアな利益分配を約束しつつ、自身の人材観を表明したともいえよう。

巧妙な報奨制度によって動機づけられた従業員が「奮闘者」となることで、同社の平均年収は業界水準を上回るレベルに達した。このことについて、任正非は一般的に「『馬鹿なおじいさん』だと思われている」と、著者はいう。彼について、世間は気前よくカネをばらまく好人物と認識している、というのである。IPOによって莫大な創業者利益が見込まれながら上場しないばかりか、ファントム・ストックなどで任正非の持ち株比率が1.01%にすぎなくなったという事実も、そうした声につながっているのかもしれない。

だが、当然ながら、任正非は「馬鹿なおじいさん」でもなければ、従業員に対して気前よくカネをばらまいているわけでもない。むしろ、高額な報酬が従業員にどういう影響を与えるかを懸念している。

かつて、彼は「豚も太りすぎればうめき声すら上げなくなる」と言った。現場で奮闘する従業員ほど手厚く報われる制度を整備しながら、強欲や怠惰を普遍的な人間性と冷徹にとらえて、従業員の「太りすぎ」を警戒するのである。報酬が高くなりすぎないよう、同社ではつねに報奨制度の調整が行なわれている。

大胆な研究開発を可能にする「非上場」という選択

ここまで見てきたように、ファーウェイの組織やマネジメントには任正非の経営哲学が色濃く反映されている。それは、彼が非上場を選択することで経営の独自性を確保したからである。同様に、上場企業なら、研究開発への大胆な傾斜も許されなかったに違いない。

冒頭でも触れたように、同社では従業員の半数を研究職が占める。また、創業以来、毎年、売上高の10%以上を研究開発へ投じ続けてきた。その累計額は、4.8兆円にのぼる。さらに、研究開発費の30%は短期的な成果があらわれにくく、失敗の確率も高い基礎研究に投じられてきたという。

そして、非上場企業ならではの強みを最大限に発揮して、同社では研究者の居住地に研究所さえ設置してしまう。

たとえば、世界的に著名なマイクロ波の研究者を招聘するため、同社では彼の故郷であるイタリア・ミラノにマイクロ波研究所を開設した。アイルランド・コークの研究所は、一人のビジネスアーキテクト(ITに精通した経営の専門家)が近くに居住していたために設立されたものである。

こうして世界各地に16の研究開発センターを設置するほか、2011年に設立された「2012ラボ」では基礎科学研究を主眼とし、1万5000人の研究者がプラットフォーム開発などに携わっている。

『ファーウェイ 強さの秘密』の著者は、彼自身、ファーウェイに11年間在籍した経験をもとに、同社のマネジメントモデルの研究に取り組んできた。内情を熟知するだけに、同書では任正非の経営が主にマネジメントの観点から詳細に分析され、紹介されている。ファーウェイという巨大企業の実態についてはもちろん、中国人企業家の思考を知るうえでも、同書は示唆深い。