ここではカフカの世界と名古屋を並べていますが、別章ではコナン・ドイルのSF小説『失われた世界』を、名古屋をたとえるためにわざわざ挙げていたのです。それはすなわち、私を含めた名古屋の人々を、失われた「猿人」やら「恐竜」などにたとえているわけで、いくらなんでも酷すぎると読む手が震えたのを覚えています。ドイルやカフカの作品をそのようなたとえに使うことも信じられない思いがしました。

おまけに、名古屋名物の喫茶店のモーニングサービスをそれとなく揶揄した話題までありました。私の実家が喫茶店をなりわいとしていたこともあって、すっかりコケにされた気がしたのです。いま冷静にこの鼎談本を読み返してみると、名古屋には名古屋のスタンダードがあり、それはそれで面白いというフォローが入っているのですが、当時は途中まで読んだ時点で、頭にカッと血が上ってしまいました。

この本が出版された当時、名古屋市内の大学院生だった自分の存在を完全に否定されたように思い、当時の私は怒りのあまり、それまで“特別な棚”まで作って大切にしていた村上作品の9割以上をブックオフに売ってしまいました。

このショックは相当に大きく、立ち直るのに長い時間がかかりました。

2009年に村上が世界的な文学賞のエルサレム賞を受賞した時のスピーチでは、弱い人間の魂を卵に、政治や権力などのシステムを高い壁にたとえていました。その時も、「なにが卵と壁だ! なにが文学だ!」と鼻息を荒くしたことをハッキリ覚えています。

村上作品を再び読むことができるようになったのは、2013年に出た『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』以後のことです。作品紹介を兼ねた新聞記事で、それが名古屋を舞台にしていることを知り、恐る恐る読んでみると、名古屋について非常に丁寧なリサーチがなされていることに気づきました。名古屋という土地に生まれ、そこで育った者にしかわからない甘えと閉塞感に満ちている内容で、村上は茶化すことなく名古屋に生きる人の魂(卵)の目線で、システム(壁)に立ち向かう物語を描いてくれたのだと、心の中でそっと和解したのです。

そして、わだかまりが完全に消えたのは、2020年に出版された『村上T 僕の愛したTシャツたち』(マガジンハウス)を読んでからのことです。そこには、村上個人のTシャツコレクションが掲載されていて、その多くは海外で購入した洗練されたデザインとロゴのTシャツでしたが、それらの中になぜか、名古屋めしで有名な味噌カツ店「矢場とん」のキャラクターTシャツ(力士姿の豚のキャラクター)が掲載されていたのです。

おしゃれなバーやレコードショップを愛する村上が、名古屋に来て「矢場とん」で味噌カツを食べている姿を想像すると、なんだかうれしくなりました。村上は未知の世界である名古屋と出合い、困惑し、時には拒否反応を起こしながらも理解しようと努力し、名古屋を舞台とした作品を発表し、味噌カツのTシャツを着るに至った。そんな経緯を思い浮かべると、愉快な気持ちになるのでした。

思い返してみると、鼎談の旅エッセイを読んでからの5年間は、本当に憤慨していたように思います。怒りの根底には、「私はファンだった」という自負もありました。『「死」の文学入門』第3章では村上作品を取り上げていますが、このような経緯があったために、怒りのあまり手放してしまった過去の作品をもう一度購入し直す、という遠回りを経て執筆作業に入りました。  

ともあれ、紆余曲折はあったものの、文学を通じてクラシックやジャズの世界を教えてくれたのは村上文学に他なりませんし、文学と音楽に深いつながりがあるということに気づかせてくれたのもそうでした。本書では、その“文学と音楽の関係”を、ベルクソンやアドルノなどの思想も交えながら書いてみました。

文学と音楽を繋ぐ蝶番

文学は音楽から生まれているのではないか。村上作品はもちろんのこと、今回、アメリカ文学などを通じて気づいた問いの先に、ある天才的人物が浮かび上がってきます。エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(1776〜1822)です。

音楽好きの方であれば「アマデウス」でピンとくると思いますが、彼はモーツァルトを愛するあまり同じ呼称(アマデウス)を自らのミドルネームにしています。小説家であり、作曲家・音楽評論家であり、画家でもあり、判事でもあるという彼の肩書の多さには驚かされますが、そのどれもが職業として成立していました。ホフマンは、いまでいうところのマルチクリエイターのような人物だったのです。彼は、モーツァルトの音楽からインスパイアされた作品を小説として発表しました。

しかし、ホフマンの名前をご存知ない方のほうが多いかもしれません。では、彼の代表作『くるみ割り人形とねずみの王様』はいかがでしょう?

これはチャイコフスキーのバレエ音楽としてあまりにも有名ですが、その原作はホフマンなのです。他方で、アレクサンドル・デュマ(1802〜1870)による小説版がバレエのストーリーに反映されているという説もあり、ホフマンのオリジナルはそれに隠れて忘れられがちです。

わかりやすく両者(バレエ版とホフマンのオリジナル)を比較するとすれば、ラストシーンの違いが挙げられます。バレエは、演出によってバリエーションはありますが、おおよそは「夢オチ」(「ここまでのお話はみな夢でした」というオチになる)のファンタジー作品として綺麗にまとめられています。少女はおもちゃの夢を見るような時代を経て、これからはオトナになっていくのだろうと想像をさせるニュアンスもあります。ですから、この物語は、夢見がちな少女の成長物語として時代を超えて愛されてきました。

他方、ホフマンの原作では、主人公の少女は夢の世界に連れ去られ、「あちら側」の世界に行ったまま戻ってこないというラストを迎えます。もしかすると主人公の少女は、もうこの世にはいないのではないかという、背筋の凍るような解釈も可能です。バレエや絵本などを通じて一般的に広まっている「くるみ割り人形」と、サイコホラー色の強いホフマンの原作は別の物語だと考えたほうがよいでしょう。

ホフマンは、モーツァルトの音楽から、ロマン派的な世界(モーツァルトは音楽史上では古典派に分類されますが、後期の作品には初期ロマン派ともいうべき作品が見られます)を感受し、夢幻の世界に少女がさらわれてしまう“神隠し”のような物語を創造したのです。ホフマン本人は音楽家としてはあまり評価されてはいませんが(再評価の向きはあります)、天才モーツァルトの音楽を文学に翻案した作家だと考えてみると、彼は音楽と文学をつなぐ蝶番(ちょうつがい)のような、重要人物だということが見えてきます。

また、『くるみ割り人形とねずみの王様』は、童話と呼ぶには複雑怪奇な構造とメタファーに満ちており、そこにはドッペルゲンガー(分身)という、のちに多くの作家がチャレンジすることになる主題が含まれています。ホフマンは他の作品でも、ドッペルゲンガーを効果的に取り入れており、たとえば、短篇小説「G町のジェズイット教会」では理想の女性を絵画に描いた男の悲劇を、「廃屋」では女性の分身が鏡に映り込む怪異を描いていて、これらは絵画や鏡を通じて登場人物のドッペルゲンガーが出現したものです。

こうした短篇作品はあきらかに、ゴーゴリの『外套』やエドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」から現代のテレビドラマ《ツインピークス》に至るまで、ドッペルゲンガーをモチーフにした作品群の先駆けとなるものです。

ホフマンがなぜドッペルゲンガーを繰り返しテーマとしたのかは、判事と幻想小説家という二重生活を送っていたホフマンの人物像に行き当たるのではないでしょうか。実務家・法律家と小説家という存在の二元的な裂け目から生じる何か不気味なもの、あるいはそのギャップがもたらす心理的葛藤。それらが、のちの文学史に大きな影響を与えるような作品として結実したといえるでしょう。文学と音楽の蝶番であったホフマンは、現代文学への橋渡しでもあったのです。

ドッペルゲンガーについては、『「死」の文学入門』の第4章「ドッペルゲンガー(分身)をめぐる死の文学」をお読みください。

ホフマン(ドイツの作曲家、作家、音楽評論家、画家、法律家・1776〜1822)

イラスト:内藤理恵子

著者プロフィール

内藤理恵子
1979年愛知県生まれ。
南山大学文学部哲学科卒業(文学部は現在は人文学部に統合)。
南山大学大学院人間文化研究科宗教思想専攻(博士課程)修了、博士(宗教思想)。
現在、南山大学宗教文化研究所非常勤研究員。