アメリカ大統領選挙は、共和、民主両党の正副大統領候補が指名され、11月3日の投開票へ向けて熱を帯びてきました。根深い人種差別問題や格差社会に揺れるアメリカという国がどこへ向かうのか、私たち日本人にとっても注視せざるを得ない選挙戦です。
世俗的に見えるアメリカですが、宗教国家としての一面もあります。私たちにとっていまひとつ理解しにくいのが、「宗教」が選挙や政治に与える影響の大きさです。例えば、2016年の大統領選挙では、その8割がトランプ氏に投票したとされる「福音派」の名はメディアにも頻繁に登場しますが、信仰心の篤い彼らとトランプ氏とのつながりは、私たちから見れば少々奇異に感じられます。
福音派とは何か。そしてアメリカにおける宗教の存在感の源とは。世界史を宗教勢力の争いの歴史でとらえた『「宗教」で読み解く世界史』(宇山卓栄・著)から、アメリカのピューリタニズムについての解説を抜粋して掲載します。
『教養として知っておきたい 「宗教」で読み解く世界史』(宇山卓栄・著)より
ボーン・アゲイン派とは何か
アメリカには、メガチャーチと呼ばれるプロテスタント教会があります。週末に、数万人の信徒たちがコンサートホールのような巨大教会に集まり、カリスマ牧師が熱狂と歓声の中で迎えられ、礼拝が行なわれます。メガチャーチは全米で1300以上あり、信徒数も増大しています。
アメリカ南部や中西部に、メガチャーチが集中しており、この地域は「バイブルベルト」と呼ばれます。メガチャーチを運営するプロテスタント教会は社会的にも強い影響力をもっています。強大な集票力と莫大な資金力で巨額の政治献金を行ない、大統領選挙をコントロールします。
2016年の大統領選で、信仰心のないトランプ大統領に代わり、マイク・ペンス副大統領が宗教票をまとめました。
ペンス副大統領はアイルランド系のカトリック家庭の出身でしたが、プロテスタントの妻と結婚をすると、プロテスタントに改宗しました。ペンス副大統領は信仰心が篤く、酒も飲まず、妻以外の女性と二人で食事をすることさえありません。ペンス副大統領は中絶を非合法化するなど、キリスト教保守のための公約を打ち出し、プロテスタント票とカトリック票をまとめ上げ、支援を取り付けました。
トランプ大統領の娘イヴァンカ・トランプ氏はユダヤ人のジャレッド・クシュナー氏と結婚する前に、ユダヤ教に改宗しています。アメリカのユダヤ教勢力がトランプ政権を支持するのは、こうした背景があります。
アメリカのプロテスタントの中でも、急進的な保守右派は福音派と呼ばれます。メガチャーチのほとんどは福音派に分類されます。福音派は「ボーン・アゲイン派」とも呼ばれます。プロテスタントはカトリックの権威主義や身分制肯定を批判して、台頭しました。その教義の根底には、平等主義があります。神を信じる者ならば誰でも神が降りてきて、再生(ボーン・アゲイン)することができると説かれます。
アメリカのプロテスタント、とくに福音派はカルヴァンの「営利蓄財の肯定」を是認し、勤勉に働くことによってお金を稼ぐことは神への奉仕であると考えます。勤勉に働かない者は神の教えに背く者であり、懲罰されるべきと考えます。
そのため、彼らはオバマ・ケアなどの福祉政策に反対し、徹底した自己責任と自由主義を目指します。オバマ・ケアの導入に反対した「ティーパーティー」と呼ばれる自由主義派の運動家の大半が福音派などのキリスト教右派です。
アメリカの宗教人口の割合は、調査によって異なりますが、おおよそ、プロテスタントが約50%(そのうち福音派が約25%)、カトリックが約25%、その他(モルモン教・ユダヤ教・イスラム教・仏教・ヒンズー教など)が約5%、無宗教が約20 %となっています。
ピューリタンの変容
アメリカのプロテスタントはもともと、イギリスにいた貧困層で、彼らは「ピューリタン」と呼ばれました。これは、エリザベス1世が彼らの熱心な信心を皮肉って、「ピュアな人たち」と言ったのがはじまりとされます。
イギリスの上層階級はイギリス国教会を奉じていたのに対し、地方出身者など新興の人口集団の大半は貧しいピューリタンでした。イギリス国教会もピューリタンと同じく、その教義はプロテスタントですが、国教会が君主制や身分制を重んじ、カトリック儀式を取り入れるなど、カトリックに妥協的であったのに対し、ピューリタンは平等主義を目指しました。イギリス国王や上層階級は急進的なピューリタンを分離主義者として危険視し、弾圧しました。
17世紀、ヨーロッパの人口が急増しました。イギリスは農耕地が少なく、次男以後の子供たちに相続させる土地がありませんでした。多くの困窮した人々は都市に出て、労働者となりますが、薄給で酷使されます。また、彼らの多くがピューリタンを信奉していたため、国教会から迫害を受けました。そこで、彼らは新天地を求め、アメリカ新大陸へ移住します。
1620年以降、アメリカへ渡ったピューリタンたちは「ピルグリム・ファーザーズ(巡礼の始祖)」と呼ばれます。彼らは先に移住していたカトリック教徒(おもにスペイン人の入植による)や先住民のインディアンと戦いながら、勢力を伸ばしていきました。
ピューリタンたちは農地を確保し、経済的に成功します。砂糖、コーヒー、綿花、タバコなどの商品農作物を農園でつくり、イギリスをはじめとするヨーロッパに輸出し、財を成す者が現われます。
ピューリタンはもともと、イギリスで国教会を奉じる上層階級からの迫害を受け、彼らに反発し、アメリカにやってきた人々ですが、世代を経るにつれて、イギリス本国人と連携していきます。いつしか、ピューリタンの先鋭的で厳格な戒律が解きほぐされ、現実の経済利益を追求する新しいアメリカ人が育っていました。
富裕になったピューリタンたちは国教会のアメリカ版であるアメリカ聖教会などを発展させていき、これがアメリカのプロテスタント主流派となります。彼らはアメリカ南部ルイジアナ地方の肥沃な地を求めましたが、そこを領域としていたフランス人入植者がいました。フランス人を追い出すために、イギリス本国との連携をさらに強め、フランスとの植民地争奪戦を戦います。
一方、ピューリタンの厳格な教えを守った非主流派が福音派となります。非主流派といえども、数の上では、主流派に拮抗(きっこう)していました。
プロテスタントとカトリックの勢力分布
イギリスとフランスのアメリカ植民地争奪戦は18世紀半ば、イギリスの勝利に終わります。イギリスはこの戦争に莫大な戦費を注ぎ込んでいたため、その支出の補填をするために、アメリカ人に負担を求めました。イギリスは砂糖法、印紙法、タウンゼント諸法など、様々な物品に税を課す法律を一方的にアメリカに押し付けました。
このような事態に直面し、本来のピューリタンとしてのアメリカ人の反骨精神が、再び覚醒しはじめました。彼らは団結し、イギリス本国の支配を排除するべく立ち上がり、1775年、アメリカ独立戦争がはじまります。
独立戦争に勝利したアメリカは合衆国となります。合衆国は13の州で構成されていましたが、それぞれ、宗派が異なり、政治的な主張も異なっていました。イギリス系、スペイン系、フランス系、混血系など、民族の違いもありました。そのため、それぞれの州の違いを残したまま、合衆制(連邦制)がとられたのです。
アメリカ建国の父たちのほとんどがプロテスタントでしたが、自分たちの信仰を強制しようとはしませんでした。宗教の強制が対立を生み、国家を分断の危機に陥れる要因になることを彼らはよく理解していました。「アメリカ合衆国憲法」の修正第一条において、政府が、ある特定の宗教を国教として定め、これを保護したり、強制したりしてはならないと規定されています。国教制度を憲法によって否定すると同時に、信教の自由を保障しています。
しかし、アメリカは宗教の寛容を建前にしているものの、その後の歴史は、インディアンらを異教徒として強制排除するなど、きわめて排他的でした。
19世紀半ば、アイルランドで深刻な飢饉が発生し、大量のアイルランド人がアメリカに移民としてやってきました。アイルランド移民は守旧的なカトリック教徒でした。彼らは安い労働力で、アメリカ人の仕事を奪っていきます。
白人でアングロ・サクソン系、またプロテスタント信者である人々は「WASP(ワスプ)」と呼ばれます。WASPはWhite Angro-Saxon Protestantの頭文字をとった略称です。ワスプはカトリックのアイルランド移民を嫌い、激しく弾圧します。
宗教国家としてのアメリカ
このように、19世紀、アメリカでは、プロテスタントとカトリックの宗教対立が続きましたが、20世紀に入り、反宗教を唱える共産主義思想が蔓延すると、共産主義の脅威に対抗するため、両派は接近しはじめました。
カトリック教徒は次第に、経済的地位を向上させ、政界に進出する者も現われます。アイルランド移民の子孫でカトリックであったジョン・F・ケネディの父ジョセフ・ケネディはその代表でした。ちなみに、ジョン・F・ケネディは歴代アメリカ大統領の中で、唯一のカトリック教徒です。アメリカでは、キリスト教徒以外の大統領が選出されたことはありません。
現在、プロテスタントは共和党支持が多く、カトリックは共和党支持と民主党支持が半分に割れます。なぜならば、カトリックの約4割がヒスパニックであるからです。ラテンアメリカ諸国は16世紀のスペインの植民地化以来、カトリックです。
グローバリズムに取り残され、失業や貧困に陥っている層をカトリックやプロテスタントの保守はうまく取り込んでいます。教会はインターネットやSNSなどを通じて、グローバリズムや格差を批判しています。
アメリカという国は日本人にとって、無神論的に見えますが、政治にも宗教が深く関係する宗教国家なのです。ヨーロッパ諸国でも、アメリカほど、宗教が政治に強い直接的影響力をもっている国はありません。
著者プロフィール
宇山卓栄(うやま たくえい)
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務めたのち、著作家となる。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済で読み解く世界史』『朝鮮属国史─中国が支配した2000年』(以上、扶桑社)、『「民族」で読み解く世界史』『「王室」で読み解く世界史』(以上、日本実業出版社)などがある。