雑草は弱い?
「雑草」といえば、抜いても抜いても生えてくるし、アスファルトのちょっとしたすき間からでも顔を出したりもする、強くたくましいイメージがあります。「雑草魂」という言葉にも、打たれ強さや、へこたれない心、といった意味が込められています。
しかし、植物学者の稲垣栄洋氏によれば、雑草は他の植物との競争にとても弱く、「まともに戦ったのでは勝ち目がないので、競争力を求められない場所を選んで」生えているのだとか。私たちが持つ常識的なイメージとは違った一面があるようです。
稲垣氏の著書『雑草という戦略』には、弱者としての合理的な方法によって、競争を避けて確実に子孫を残す、雑草の生き残り戦略が紹介されています。逆境も巧みに利用して繁栄する雑草たちの意外な生態には、私たちの人生やビジネスにも通じるヒントが隠れています。
雑草が得意としている特殊な環境は「予測不能な激しい変化が起こる場所」である。
もし、私たちが生きている現代が、予測不能な時代なのだとしたら……
雑草の戦略が役に立たないはずがない。
(『雑草という戦略 予測不能な時代をどう生き抜くか』「はじめに」より)
踏まれるスペシャリスト
例えば、誰もがよく見かける「オオバコ」という雑草があります。公園や河川敷のグラウンド、道路にも広く分布するオオバコは漢字で「大葉子」と書くように、低く放射状に広がる大きな葉が特徴です。
稲垣氏によれば、オオバコは「踏まれるスペシャリスト」。その葉は柔らかいのですが、中に固い筋が通っていて、人や車に踏みつけられても簡単にはちぎれません。茎も強さとしなやかさを備え、とても丈夫です
そして、よく踏まれるところに生えている。まるで踏まれやすいところを選んでいるようです。なぜなのでしょうか。
じつは、オオバコの種子は、紙おむつに似た化学構造のゼリー状の物質を持っていて、雨が降って水に濡れると膨張してネバネバする性質がある。その粘着物質で人間の靴や、自動車のタイヤにくっついて運ばれていくのである。
(中略)道に沿ってたくさん生えているのは、人や車がオオバコの種子を運んでいるからなのだ。(69-70ページ)
意外にも、踏まれることによって種子を広範囲に散布し、子孫を残しているのですね。
植物にとって踏まれることは、本来、耐えなければならないストレスです。よく踏まれる場所は、多くの植物にとっては居心地の悪い場所ですから、生存競争も少ない。
逆に言うと、踏まれることのない環境では、オオバコは他の植物との競争に勝つことができず、生き残れません。
オオバコは「踏まれる」という植物にとっての逆境を利用して競争を回避し、よく踏まれる場所で圧倒的な地位を得ているわけです。
強みを活かせる場所でなければ生き残れない
どこでも見かける雑草ですが、ところかまわず生えているわけではありません。オオバコが踏まれやすい道路に生えているように、草刈が行われる道端にはまた別の、草刈に強い雑草が生え、あまり人が立ち入らない空き地には競争力の強い大型の雑草が背を伸ばしています。それぞれが、自らの強みを活かして生育しているのです。
もっとも、植物は生えたい場所に移動できるわけではありませんから、結果的にそうなっている、と言えます。
もちろん、雑草は動くことができないから、自ら場所を選んでいるわけではない。実際には、たくさんの種があり、たくさんの芽生えがあり、その中から自らの強みを発揮できる場所に生えることのできた者だけが、雑草として成功していることになる。
つまり、自らの強みを活かした場所で生えているというのは結果論である。(72ページ)
稲垣氏はこのように解説していますが、続けてこうも指摘しています。
しかし、自らの強みを活かした場所でなければ生き残れないという真実は明確だ。(同)
雑草は自分の強みを最大限に発揮できる場所で生き残っている。もちろんそれは自然の現象であり、結果論かもしれませんが、人間の「生き方」やビジネスにおける「競争」を思い浮かべたとき、重要な示唆を与えてくれるものでもあります。
私たちは、戦略を選ぶことができる。戦う場所も選ぶことができる。そうであるとすれば、強みを活かした場所を選んで戦わなければならないのだろう。(同)
現代は予測不能で不確実な時代と言われます。私たちも逆境に立ち向かわなければなりません。そんな時代には、稲垣氏が指摘するように、雑草たちの戦略が役に立つはずです。