今年、芸歴六十年を迎え、子役の時代から数々の名作ドラマや映画に出演してきた俳優の小倉一郎さん。実はギター演奏、作詞・作曲、篆刻、墨絵、書などをたしなむマルチな趣味人としての顔も。とりわけ「蒼蛙(そうあ)」の俳号で創作を続ける俳句は、二十年以上のキャリア。現在は、NHK「ひるまえほっと」の俳句コーナーやカルチャースクールでも講師を務めています。

俳句は「人生そのもの」だと語る小倉さんが、初歩の初歩からテーマの見つけ方、「いい句」をつくるためのテクニックまでをまとめた初めての入門書『小倉一郎の〔ゆるりとたのしむ〕俳句入門』が発刊されました。本記事では、そのなかからいくつかのエッセンスを紹介します。

無限の世界が広がる ~言わずに想像してもらう

なにしろ十七音字しか使えないので、あれもこれもと盛り込むことはできません。いろいろと書いていったら、すぐに字数が足りなくなります。簡単そうに見えて、実際に作ってみると、そのことをつくづく実感します。ですから、俳句は「言わない文学」だとも言えます。

そもそも、十分に言葉を尽くしたり、くわしく説明したりするわけにはいかないのですから多くを言えません。言えないから言わない、とも言えます。でも、そこがいいのです。すべてを説明してしまっては、その場では納得しても、案外、後に残らないものですし、野暮な話を説明するのはつまりません。

「言わぬが花」というたとえもあります。言いたいことをあえてこらえて言わずに、読み手に勝手に想像させる。これが俳句の魅力であり、おもしろさでもあると思うのです。

例句

夕蛙農婦足もて足洗ふ 森干梅

遠くから蛙の鳴き声が聞こえてきます。農婦がたんぼ仕事を終え、川か家の井戸で足を洗っている、という句です。汚れた足を手を使わずに足で洗う。子どものころ、やったことありますよね。「夕蛙」というだけで、夕暮れどきの田園風景が目に浮かんできます。一日のお仕事おつかれさま。さあ、これから夕飯の仕度です。空には星が見えています。

飾られて眠らぬ雛となり給う 五所平之助

箱の中で眠っていた雛たちも、ひな祭りの幾日か前から雛段に飾られて、もう眠ることはありません。目を覚ました雛は、眠りについた娘をやさしく見守ってくれているのでしょう。日本映画の名匠・五所平之助監督は俳人でもありました。

名句にみる着想のヒント ~独創性を追求しすぎない

せいぜい人間が考えることなんて、それほど大きく違うものじゃありません。桜の花がきれいだ、新緑がさわやかだ、名月が美しい……誰しも思うところです。だから、見たまま、感じたまま、「新緑や~」「名月や~」と詠んでいる句がもうほとんど。どうしても、ありきたりな表現に陥りがちです。

俳句用語で「類句」とか「類想」と言えば、表現や内容が似ていることです。句の趣向や考え方が似ているのが類想で、表現や言葉づかいが似ているのが類句です。両方似ていたらパクリ(?)を疑われてしまうので気をつけましょう。

独創的な句を作りたい、と誰しも考えますが、そう簡単にはいかないもの。オリジナリティを求めるあまり、手前勝手になったり、理屈っぽくなったりするからです。そこへいくと、鷹羽狩行先生はさすがです。「新緑」という初夏の季語を使いながらも斬新な句を作りました。これこそ現代俳句だな、と感心させられたものです。

例句

摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行

摩天楼、エンパイアステートビルに登って、セントラルパークを見下ろしたら、新緑がパセリのように見えた、という句です。同じ新緑でも、舞台をアメリカ、ニューヨークにもっていっちゃった。新緑を俯瞰(ふかん)でとらえた斬新な発想です。

灰色の象のかたちを見にゆかん  津沢マサ子

前衛俳句の高柳重信さんのお弟子さんの句。季語がないのですが、象を見に行くんじゃなくて、「灰色の象のかたちを見にゆかん」。あ、これおもしろいな、新しいなって思いました。俳句の大先輩なのですが、ご本人に「わたしはこれが一番好きです」って言ったら、「うれしい!」と喜んでくださいました。

方言(お国訛り)を使ってみる ~ユニークな表現がいっぱい!

俳優という仕事柄、科白を方言(お国訛り)で話すこともあるせいか、俳句でも方言を使った表現が思い浮かぶことがあります。

「ありがとう」ひとつでも地域によってずいぶんと違って、「おおきに」「だんだん」「まんずどうもね」など実にさまざま。あえて方言を使うことで、故郷への郷愁とか田園の風景を連想させたり、その土地ごとの伝統文化や風習、人々の暮らしぶり、県民性なんかを生き生きと表現することができます。

また、方言がもつ独特のリズムや言い回しからユニークな句が生まれることも。旅先などで見聞きしたり、経験したことは、その地域の言葉で詠むのも一興です。

余談ながら、方言でお芝居をする劇団があり、名古屋の劇団「劇座」代表の山田昌さんたちは、「ハムレット」を名古屋弁で演じたのだそうです。「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だがね」なんてやったのかな。見たかったなあ。

例句

焼酎やなんでんかんでん語らふて 蒼蛙

方言というものはいいもので、訛りを聞いただけで、郷里のことが思い浮かびます。わたしは鹿児島で育ちましたので、酒場で隣に座った人が「きばれ(がんばれ)」とか「おやっとさあごあした(おつかれさまでした)」なんて話していたりすると、ついつい声をかけてしまいます。「鹿児島のどちらですか?」って。

身ぎれいにしときいや菊飾ったる 蒼蛙

京都に行くと必ずお墓参りするのは、旧友・川谷拓三の墓です。行くと句ができます。その中でも好きな句です。あの世でもモテるように身ぎれいにしときいや。


小倉さんが俳句を詠むようになったのは、楽屋で聞こえてきた笑い声をなんとなく句にしてみたことがきっかけだそうです。

わたしが俳句を始めたキッカケは、二十数年前のお正月公演でした。それは、楽屋でのこと。狭い地下にある楽屋は一部屋しかなく、カーテンでしきった奥が女楽屋でした。その奥の楽屋から女優さんの明るい笑い声が聞こえてきて、そのときにできたのが、わたしの最初の句です。

初芝居女樂屋の笑ひ聲

旧字・旧仮名づかいで書いたのは、深い理由があったわけではなく、単純にそのほうが俳句らしくなる、と思ったからです。実は、わたしは婆さん子で、そのせいか、旧仮名を知っているほうだったこともありました。

(はじめに より)

近年は、伊藤園の「お~いお茶俳句大賞」やTBS系列のバラエティ番組「プレバト!!」、愛媛県松山市が高校生を対象に開催している「俳句甲子園」の影響などもあり、俳句人気は高まるばかり。紙とえんぴつ一本さえあれば、誰にでも手軽に始められるのが魅力。それでいて、一度ハマったら奥が深い。

もしかしたら「俳句をはじめてみて、生活に張り合いが出た」という人も現れるかもしれませんね。