ものは散らかっているが、生き方は散らかっていない──

『アンチ整理術』(森 博嗣) 「まえがき」より


森博嗣は天の邪鬼である

この頃、新書やエッセィの執筆依頼が非常に多い。もう半分以上引退した作家なので、おそらく出版社の人たちは、「小説は無理でも、ノンフィクションならば……」と期待されるのだろう。なんと、今年だけでも十冊も発行される。

一番多い依頼は、「仕事術」について書いてほしい、という希望である。森博嗣という作家は、速筆でばりばり本を出している。なのに、一日に一時間しか作家の仕事をしていない(実は四十五分である)。こういった情報から、よほど集中力があって、時間を有効に使いこなし、頭の中も整理されているのだろう。その仕事のノウハウを語ってもらいたい、というご依頼である。

ちなみに、ほとんどの依頼は、執筆時期が「今年中に」などと切迫しているためお受けできない。九割はお断りしている。また、印税などの条件が合わない場合も、ご辞退している。当方は、趣味で文章を書いているのではない。仕事として、書いているからだ。

「仕事術」という点では、本書も同じだったかもしれない。どのように自分の周辺のものを整理・整頓しているのか、頭の中で、どのように情報を整理・選択しているのか、ということを問われた。そこを書いてほしい、という依頼である。

同じようなテーマの依頼を、これまでに断ってきた。そういう方面に、自分はノウハウを持っていないからだ。ただ、幾度も求められるということは、需要がある、つまり皆さんが知りたいテーマなのだろう、と解釈できる。そこで、なんとか自分なりに考えながらでも、書いてみることにしようか、と今回お引き受けした次第である。

これまでにも、「仕事のやり甲斐について書いてほしい」と頼まれて、「仕事のやり甲斐など単なる幻想である」という本を書いたし、「仕事に活かせる集中力について書いてほしい」との依頼には、「集中力はいらない」というずばり真逆(まぎゃく)の本を書いた。ほかにも例が幾つかある。

もうお気づきのことと思うけれど、森博嗣は天の邪鬼(あまのじゃく)なのだ。人が期待するようなことは考えてもいないし、実行もしていない。考えていないものは書けない。でも、何故逆に考えるのか、常識的なことを考えない理由は何か、という点については書ける。僕には、僕の道理があるからだ。

文章を書く職人として

僕に特徴的なことで、なかなか世間に理解してもらえないことがある。それは、世間に対してなにかを訴えたいと思ったことがないことだ。まして、人様の生き方に文句をつけるつもりなど毛頭なく、自分のやり方が正しいとか、君たちも同じようにしなさいなどとは、まったくこれっぽっちも考えていない人間である。

鍋(なべ)を作る職人は、鍋が好きだというわけではない。自分の鍋が世に出回ることに誇りを持っているかもしれないが、仕事をするモチベーションは、鍋を作ってほしい、と依頼されたからだし、それに応えて作ることで、自分が人様の役に立ったかな、と少し思える心地良さがあるためだろう。仕事とは、そういうものだ、と僕は考えている。

僕は、かつては研究をすることが仕事だった。この場合、人からなにも依頼されない。どこに需要があるのかを考えるところから、既に仕事の一部だった。それが二十代から四十代後半までのこと。それに加えて、奇福にも三十代後半から、作家になった。ちょっとしたバイトをするつもりで始めたら、あっという間にこちらの収入の方が多くなってしまった。

ものを書きたいから書いているのではない。仕事の依頼があるので、それに応えて書いている。僕は、単なる職人であって、文化人でもないし、芸術家でもない。

書けないものは当然ある。経験のない分野であったり、自分の考えと違う見解は書けない。「仕事術」というものを、僕は事実上持っていない。なんの拘(こだわ)りもなく、方針もなく、これまで仕事をしてきた。拘りがなかったから、研究者なのに、小説を書いたのだ。

向上心という基本的能力

「整理術」についても、非常に抵抗があった。依頼した人の気持ちはわかる。この種の「これさえすれば成功する」という本は、世間に溢れるほど沢山出回っているし、実際、そういったものを読みたい人たちが多いのは確実のようだ。

誰でも若い頃は、自分がまだ知らないことが沢山ある。自分は知らないから、なにか損をしているのではないか、という不安を持っているだろう。また、もう少し年齢が上がって、仕事にも慣れ、少し安定した時期にも、もう一段自分を高めたい、と考える。仕事が上手くいかないときは、修正しようとするし、また上手くいきそうだったら、弾(はず)をつけ、参考になるものを探したい、といった要望を持つ人も多いようだ。

自分の仕事や生き方について、本を読んで参考にしよう、と思うだけで、その人は成功者のグループに入る条件を満たしているだろう。まず、日本人の半分くらいは、本など読まないし、活字を読んでも意味を頭に展開できない。だから、文字を読めるという基本的な能力に加えて、自分の人生を向上させたいという意欲を持っているだけで、なにごとにも積極的になれるはずだ。これが、成功を導く要素となる。意欲というよりも、能力といっても良い。

どんな情報も、それを役に立てようと思えば役に立つ。逆に、こんなものは自分とは関係がない世界だ、これを書いた人はただ自慢をしたいだけだ、というふうに受け取る人は、同じ情報を活かせない。得をするか損をするかは、その人次第なのである。