リクルート(現アントレ)発行の起業支援情報誌『アントレ』の編集者として、数々の起業家を取材してきた天田幸宏氏。同氏は「職業として一人で働く」フリーランスとは異なる、事業を営む主体として1人で働く「ひとり起業」について、一般的には大企業向けの理論と思われているドラッカーの経営理論が適用できるとしています。
具体的にはどういうことなのか。同氏の著書『ドラッカー理論で成功する 「ひとり起業」の強化書』より見てみましょう。
理想はドラッカーが述べる「顧客の創造」の実現
顧客に対して「どのような価値を提供するのか」を考えるのは、ひとり起業では、経営者でもある自らの仕事です。顧客に提供する「価値」を認識するためには、どのようなニーズがあるのかを洗い出す必要があります。
すでに顕在化しているニーズに応えるのは簡単ですが、顧客が知らないものを事業化するときは「ニーズそのものを創り出す」ことが求められます。それが実現できたとき、ドラッカーがいう「顧客の創造」につながります。
顕在化されていないニーズを、趣味が高じて新たな事業とした例を紹介しましょう。
寝ている赤ちゃんに背景や小物をつけて撮影する「おひるねアート」を考案した青木水理さん(東京都)は、長男の誕生以来、趣味で撮り始めた「おひるねアート」をブログに投稿したところ、全国のママから熱狂的な支持を受け、数か月後には『赤ちゃんのおひるねアート』(主婦の友社)という本を出版しました。
バラエティ番組の出演やニュースなど各種メディアでも話題になり、作品はもちろんのこと、撮影イベントは大企業からもオファーが寄せられるようになります。
2013年には、青木さんは「一般社団法人日本おひるねアート協会」を設立。「おひるねアートで世界中のママと赤ちゃんに笑顔を届けること」を使命に、認定講師の育成や企業への作品提供などを行っています。
青木さんがたった1人で始めたこの事業は、今や全国に500名を超える講師を抱えるまでに成長しています。その背景には、「今しか撮れない赤ちゃんと一生の思い出をつくりたい」「撮影技術を身につけて仕事にしたい」「撮影イベントでママさんを集めたい」というニーズを発掘し、講師や顧客とともに事業を創造していった点にあります。
ひとり起業においては、顧客に提供する価値のスタイルを大きく3つに分類できます。
1つ目は「提供型価値」です。これは小売店や飲食店、書籍のように、あらかじめ商品やメニュー、内容が決まっているものを指します。どちらかというと一方通行で、シンプルに提供することに主眼が置かれているものです。大量生産が可能なので、大企業が参入している市場に多いのが特徴です。
2つ目は「対応型価値」です。これは美容院のように顧客の要望を聞いて対応するもの。マッサージ店であれば「首や肩が凝っているのでほぐしてほしい」というニーズに対応するのも「対応型価値」になります。中小企業の多くは、対応型価値といえるでしょう。
3つ目は「共創型価値」です。これは「おひるねアート」のように、顧客をゼロから創造し、提供側と顧客側双方がコミットして初めて目標が達成されるものを指します。顧客が実践しないと結果が出ない経営コンサルティングなどは付加価値の質が問われるため、典型的な「共創型価値」モデルといえるでしょう。
具体的な商品やサービスを考える際は、ぜひこの3つの価値創生モデルも一緒に考えてみてください。
POINT たった1人の趣味が大きな事業になる
小さくてもいいから「独占できそうな市場」を選ぶ
「戦略」とは、「誰に(市場)」「何を(商品)」「どのように(流通経路)」提供するかで決まります。ひとり起業においても例外ではありません。極論すれば、「どんな市場を選ぶのか」で事業の成否が決まってしまうのです。
会社員だと、たとえ今の仕事がうまくいかなくても転職することができますが、いったん起業してしまうと立ち止まったり、途中で方針転換したりするのはかなりのパワーを必要とします。とくに「市場」については事前にリサーチを行ったうえで、慎重に決めるようにしてください。
ひとり起業における「市場」の見極め方はいたってシンプルです。小さくてもよいので、ライバルや大手企業が入ってこない独占できる(可能性のある)市場であることです。
独占できる市場の見極め方には、大きく3つのステップがあります。
1. 市場を可能な限り細分化する
大きな市場ではライバルと共存することになり、やがては価格競争にさらされます。大きな市場は大企業も参入していますから、ひとり起業家が生き残るには困難です。そこで、既存市場をできるだけ細分化してみてください。
細分化の基準は何でもかまいません。顧客の属性でもよいですし、商品や地域の絞り込みなど、あらゆるものが基準となります。世の中に存在する「専門店」と呼ばれる店は、市場を可能な限り細分化したものです。この機会に、彼らがどのような背景で現在の専門店にたどり着いたのか研究してみてください。
2. 独占できそうな市場を選択する
市場を細分化できたら、事業を行うに値するか1つずつ検証してみます。その際には、「強みを活かせること」と「変化するニーズに対応できること」をベースに決めるようにしてください。「流行していること」は魅力的に思いますが、そこには他社も参入してくるので、明確な差別化ポイントや参入障壁が築けるかがポイントになります。
3. 選択した市場に名前をつける
独占できそうな市場が見つかったら、それに名前をつけてみましょう。名前をつけることによって、「新たな市場」という認知が広まりやすくなります。これらの3つのステップを体現しているケースを紹介しましょう。
帽子作家として活躍する中嶌有希さん(東京都)は、幼い頃から洋裁に親しみがあったことから、洋裁好きが集まるサロンのような場所をつくりたいと起業を決意します。
洋裁歴50年を超える大ベテランの母、君子さんの協力を得て、2011年に京王線仙川駅の近くに「洋裁+カフェ」スタイルの店をオープンしました。
さまざまな用途に応じるべく20台超のミシンを用意し、作業の合間にカフェでひと息つける空間を用意したところ、「こういうお店を待っていた」とばかりに遠方からも足を運んでくれるファンが徐々に増えていったそうです。
当初は手探り状態で始めたそうですが、プロ志向というよりは「まっすぐ縫いたい」「雑巾が縫いたい」といったニーズが多いことがわかり、顧客がやりたいことのサポートに専念することに。手ぶらで立ち寄れる気軽さも手伝い、現在では、季節に合わせたワークショップなどが各種メディアで取り上げられる人気店に成長しています。
このように、カフェも洋裁も大きな市場ですが、両者をかけ合わせるだけで「洋裁カフェ」という類を見ないユニークな市場ができました。
中嶌さんはカフェでアルバイトの経験があったこと、幼い頃から洋裁に親しんでいたという強みがしっかりと活かされていることも見逃せないポイントです。何より、顧客のニーズを見極めて柔軟に対応する姿勢は、これから起業する人にとって大いに参考になるはずです。
ドラッカーは『創造する経営者』において、「顧客と市場を知っているのはただ一人、顧客本人である」と述べています。ビジネスとは、顧客の心の内を推し測り、新しい商品やサービスを世に送り出す行為ともいえますが、それ以上に実際のニーズを聞き出す行為はもっと重要です。
ぜひ、机上の空論で済ませず、対象の顧客が見えたら積極的にアプローチしてみてください。