情報化社会にあっては
独創力こそ人間としての存在理由になる
賀来龍三郎(かく りゅうざぶろう 1926.5.19 〜 2001.6.23)
キヤノン社長・会長・名誉会長。享年75(歳)。
キヤノンカメラを複写機やプリンターなども手がける情報機器メーカーに成長させ、「キヤノン中興の祖」と呼ばれる。
私は大分県中津市育ちであり、母から同郷の優秀な賀来三兄弟の話は聞いていたから親しみがある。以下、賀来氏本人が語るエピソードには、情報化社会を牽引した名経営者の資質が見える。
「面接試験で趣味を聞かれ『麻雀です』と答えました。すると、御手洗(毅)社長の機嫌が悪くなった。徹夜で賭け事をするのはけしからん、というわけです。家庭麻雀に慣れ親しんでいた私は思わず、『麻雀のどこが悪いのですか。私は賭けも夜更かしもしません』などと反論しました。
御手洗さんはカッと怒りだした。キヤノンを諦めて次の就職先を探しました。ところが、社長が『不合格』と言ったのに、他の役員は全員『合格』。多数決で入社が決まりました。役員が社長と反対の意見を述べ、それが通るなんて面白い会社だなと思いました」
「多角化のために電卓事業に乗り出すべきだと進言し、御手洗(毅社長)さんから反対されました。御手洗さんはソニーの井深大さんに相談し、『電気関係に出ると苦労しますよ』と忠告されたらしい。井深さんは善意でおっしゃったと思いますが、今度は私が怒り『なぜ自分の部下が言うことを聞かず、他社の助言に従うのですか』と食ってかかりました」
「与えられた仕事の分野では、世界一になるんだという意気込みを持て」と社員を叱咤した賀来龍三郎本人は、カメラのデジタル化の推進、コピー機、プリンター、ワープロなどの新規事業を立て続けに創出し、多角化でキヤノンの業績を伸ばした。
確かに新規事業を継続して収益源にした賀来龍三郎には、独創を語る資格がある。情報化時代になって人間にはどういう存在理由があるのかという問いを発し、それは「独創力」であると賀来龍三郎は喝破した。
最近話題になっている、AI時代に人間は何をするのかという問いと迷いへの明確な解答だ。
(113ページ)
毎日毎日、嫌なことばかりだけれども、
これは砥石で研がれているようなもんだな
新井正明 (あらい まさあき 1912.12.1 〜 2003.11.27)
住友生命保険社長・会長、松下政経塾理事長。享年90(歳)。
東京帝国大学卒業後、住友生命に入社。その後、召集を受け、満州国とモンゴル(外蒙古)との国境線をめぐり発生した1939年の日ソ(外蒙古軍も)紛争「ノモンハン事件」で右大腿を切断。以後、隻脚人生を送る。
戦後、住友生命で労組委員長を経て、1996年には社長に就任。この間、安岡正篤に師事し中国古典の虜になり、絶望の宿命から立ち直った。新井は本業を超えて、関西経済同友会代表幹事、松下幸之助が作った松下政経塾の理事長などもつとめている。そして、安岡正篤の教えを広めるために関西師友協会を作り人を育てた。
「地位に応じて成長するのは難しいことです」
「選り好みをせずに愛憎などの私心を捨てて部下を用いる。自分流儀の者ばかりを取り立てるのは水に水を差すようなもので調理にならず味もそっけない。日ごろ嫌いな人を良く用いることこそ腕前」
2018年の雑誌『致知』に、宇野精一との対談が載っている。新井が『古教、心を照らす』(致知出版社)という本を一高・東大で同級生だった政治学の泰斗・丸山真男に送ったら返事が来た。1960年代に丸山がオックスフォード滞在中に、オックスフォード大学に経営学の講義がなく、不思議に思い、ある教授に尋ねたところ、「経営なんていうものは古典と歴史をしっかり勉強すればできるものだ」と答えた、という内容だった。
イギリス人のアメリカへの対抗意識の表われともとれるが、一つの見識だとも思った、と丸山は書いていた。
経営はそう簡単なものではないが、経営を行なう人には深い歴史観と人間観が必要だという考えには一理ある。
新井正明の対談集『心花、静裏に開く―人物となるために』(致知出版社)では、中村元、鈴木治雄、宇野精一、山下俊彦など学界・財界のトップと語り合っている。対談の中では、中国古典や安岡東洋学の神髄が縦横に引用されているのだが、この人自身のオリジナルの言葉は見かけない。
古典には倫理観、文芸、歴史など、人間の生き方に関するすべてが入っているからだろうが、そういうものが本人と混然一体となっている。新井正明という人間そのものが、先哲と恩師という硬質の材料で練りあがっているという印象だ。
一生をかけて世間という砥石で自分を研いでいく、その心構えを見習いたい。
(128ページ)
自ら機会を創り出し、
機会によって自らを変えよ
江副浩正 (えぞえ ひろまさ 1936.6.12 〜 2013.2.8)
リクルート創業者。享年76(歳)。
江副浩正は東大教育学部卒業後の1960年3月、リクルート社の前身となる「大学新聞広告社」を創業した。
女性向け、技術者向け、アルバイトと、細分化した就職情報誌を発刊。また住宅、進学、人材派遣、中古車などの情報誌を作り続ける。事業は雑誌媒体にとどまらず、会社案内、入学案内、入社模擬試験、各種セミナー、海外ツアーから人材斡旋、スキー場開発、農場経営にまで及んだ。そして結婚など人生の節目需要をビジネスに結びつけ、就職情報を中心とした巨大企業グループに成長させた。
「自分が脅威を感じるほどの部下を持つマネージャーは幸せである」
「2位になることは我々にとっての死を意味する」
そして「戦後を代表するベンチャー起業家」となった江副は、戦後最大の疑獄事件を起こす。未公開で値上がり確実な不動産事業のリクルートコスモス社の株式を、政財官界の要人数十人に譲渡し、「ぬれ手で粟」との強い非難を浴びて、政治家・官僚・経営者など12人が贈収賄で立件され有罪となった。竹下登首相もこの事件に関して「国民に政治不信を招いた」として内閣総辞職を表明。「東大が生んだ戦後最大の起業家」と言われた江副自身も贈賄罪で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けて、経営の第一線から退く。その3年後にはリクルート株を売却、完全にリクルートを離れた。
その江副浩正の冒頭の言葉はリクルートの精神となって、多くの人材を生んでいる。38歳定年制は、IT、不動産、教育などの経営トップの多くのリクルート出身者を生んだ。私もビジネスマン時代にはリクルート出身者に会う機会が多かった。この点、リクルートはソニーと同じく人材の宝庫という印象を受けた。
『江副浩正』(馬場マコト・土屋洋、日経BP社)によれば、「江副浩正を信奉する人、薫陶を受けた人」として以下の人物があがっている。孫正義、大前研一、澤田秀雄、堀江貴文、藤田晋、井上高志、宇野康秀、江幡哲也、小笹芳央、鎌田和彦、坂本健、島田亨、島田雅文、杉本哲哉、須藤憲司、経沢香保子、廣岡哲也、藤原和博、船津康次、町田公志、村井満、安川秀俊、渡瀬ひろみ など。
かつてリクルート社の社是であった、「自ら機会を創り出し、 機会によって自らを変えよ」という短い強烈なメッセージは、若者の野心を引き出し、飛躍し続ける多くの事業家を育てた。
江副浩正のこの貢献は忘れてはならない。自分の最大の教育者は自分自身なのだ。
(210ページ)
【著者プロフィール】
久恒啓一(ひさつね けいいち)
多摩大学特任教授、多摩大学総合研究所所長、NPO法人知的生産の技術研究会理事長。1950年、大分県中津市生まれ。九州大学法学部を卒業後、1973年、日本航空に入社。広報課長などを経て早期退職。1997年、新設の宮城大学事業構想学部教授。2008年、多摩大学経営情報学部教授、経営情報学部長、副学長を経て2019年4月より多摩大学特任教授。著書はベストセラーを含む「図解」シリーズのほか、近年は『遅咲き偉人伝』(PHPエディターズグループ)などの人物論も手がけている。著書総数は100冊以上。最近著は『100年人生の生き方死に方』(さくら舎)、『新・深・真 知的生産の技術』(日本地域社会研究所)など。
図解ウェブ:http://www.hisatune.net/