来年4月30日に天皇陛下が譲位、5月1日には皇太子さまが即位され、改元が行なわれます。それに伴う一連の式典を通じて、私たちも皇室の意義や役割について考える機会が増えるのではないでしょうか。また、皇室を通して日本の歴史や他国との関わりについて思いをはせる人もいるかもしれません。
『教養として知っておきたい 「王室」で読み解く世界史』の著者・宇山卓栄さんによると、日本の皇室には世界に類例を見ない「特別さ」があるそうです。その理由はどこにあるのでしょう。宇山さんに語っていただきました。
なぜ万世一系の皇統を維持できたのか
歴史上、世界各国の王室はその多くが、国民や外敵による追放、処刑など悲惨な終わり方をしています。世界の王朝が頻繁に変わるなかで、日本の皇室だけが万世一系を維持し、天皇は今日、世界に唯一残る「皇帝(Emperor)」となっています。その存在は「世界史の奇跡」といえます。
天皇家は「万世一系」です。福澤諭吉が『文明論之概略』(1875年)のなかで「わが国の皇統は国体とともに連綿として外国に比類なし」と述べたとおり、日本の皇室は古代から現在につながる一貫性をもちます。万世一系については異論や諸説があるものの、世界史のなかで系譜を約1500年たどることのできる王統の一貫性を有するのは、わが国だけです。
日本では中世以降、源平の武人政権から徳川の江戸幕府にいたるまで、いかなる武人政権も天皇の地位を侵すことはありませんでした。天皇の血統が神聖不可侵であることを武人たちはよく理解し、天皇によって委託された政権を預かるということを前提にし、天皇を唯一の主権者と仰いできました。
これは日本人の深い知恵です。有力者によってしばしば王統が廃絶させられた諸外国と異なり、わが国は天皇の永続性により、無用な変乱や革命に巻き込まれることなく、国家の安定を長い歴史のなかで維持することができたのです。そして、天皇を戴く日本国はいまもなお、帝国であるといえます。
悲惨だった中国王朝の統治
日本と違い、中国皇室の歴史は悲惨なものでした。中国では王朝の入れ替わりが激しく、多くの王朝が民衆の反乱により瓦解しています。中国の皇帝は民衆に畏怖はされても、敬愛される存在ではありませんでした。
中国皇室では血統の継続性・正統性が顧みられることがなかったため、百姓から身を起こして皇帝になった者がいます。14世紀、明王朝を建国した朱元璋です。貧農から身を起こし、反乱軍のなかで人望を集め、天下を取り、洪武帝として即位しました。
漢王朝を建国した劉邦も農民出身ですが、豪農で豊かであったといわれています。朱元璋は水飲み百姓で、両親や兄弟を飢餓で亡くしました。読み書きができず、成人して反乱軍に身を投じているときに猛勉強をしたようです。
暗い過去を背負い、苦労が多かったためか、朱元璋は猜疑心の強い人物で、謀反を極端に恐れていました。そして、自らの側近や有能な臣下をことごとく処刑しました(「胡藍(こらん)の獄」)。その数は7万人にのぼるといわれています。能臣たちは朝、仕事で家を出るとき、帰ることができないかもしれないと、家族に別れを告げました。無事に帰ることができれば、再会を喜び合ったといいます。
明王朝の歴代皇帝は朱元璋にならい、多くの能臣を粛清したため、能力ある人材が朝廷に集まらず、愚昧な政治が続きました。どこの馬の骨ともわからない者が王(皇帝)の座に就くと、このような疑心暗鬼と人心の荒廃を招きます。
ならず者や簒奪者が跋扈(ばっこ)した社会
中国では、異民族の外部侵入者も堂々と皇帝の座に就きました。モンゴル人などが突如襲来し、王宮を侵して帝を廃し、自らその玉座に座りました。実際、中国の王朝の大半が異民族による王朝で、中国人(漢人)がつくった王朝はほとんどありません。
王朝がコロコロ代わった中国では、ついに人々に国というものの意識が根づきませんでした。国の意識がないために、公共の意識もありません。そうなるとどうなるか。人が道で倒れていても誰も助けない、ゴミや公害を撒き散らして平然としている、そんな自分さえよければよい、という人間ばかりが集まる荒廃した社会になってしまうのです。
ならず者や簒奪者が覇を競う無秩序な世が長期的に続いたことで、国の支柱とすべき精神や規範というものが欠落した状態が歴史的に慢性化し、それが今日まで続いているのです。