ネット上で大量に書き込まれる誹謗中傷、拡散される根も葉もない噂、自宅に届いた「殺害予告」……etc.

これは、ある依頼人から「ネット上にある書き込みの削除」の依頼を受けた弁護士・唐澤貴洋氏が、その一件以降受けてきた被害の一部です。とりわけ、受けた殺害予告数は100万回を超えており、世界2位(ちなみに1位はジャスティン・ビーバーの1200万回)とも言われています。

ですが、こうした普通の人であればメンタルをやられてしまいそうな被害を受けてなお、唐澤氏は弁護士としての活動を続けています。

なぜ、炎上したのか。
なぜ、今なお弁護士として戦い続けるのか。

炎上の経緯と受けた被害、そして弁護士として戦い続ける理由を、『炎上弁護士 なぜ僕が100万回の殺害予告を受けることになったのか』として本にまとめました。そこで、発刊記念としてプロローグ部分を本記事で無料特別公開するほか、唐澤氏よりいただいたメッセージを掲載します。

『炎上弁護士』プロローグ 特別公開PDFはこちら

唐澤氏より「刊行によせて」

「SNSは声なき人に声を与えたツールだったはずなのに、私たちは今、相互監視社会をつくり上げ、生き抜くためのもっとも賢い道は『無言を貫くこと』になってしまった」と語ったのは、イギリスのジャーナリストであるジョン・ロンソン氏ですが、SNSを含むインターネット社会が私たちと切っても切れない関係になればなるほど、こうした事態は深刻化していくことでしょう。

かく言う私も、あるインターネットの電子掲示板における誹謗中傷記事への削除請求等を行ったことで、炎上行為に巻き込まれました。炎上行為は電子掲示板での誹謗中傷やプライバシー侵害だけに止まらず、殺害予告、なりすましによる爆破予告、自宅や実家の墓の特定、事務所への落書きやポストへの生ゴミの投函といった実害を被るまでに及ぶ被害に、6年も前から現在に至るまで遭い続けています。

そうした「炎上行為」がいかに、人に精神的なダメージを与え、日常生活に支障を来すことになるかを、本書では実体験を交えて語りました。本書によってインターネットをめぐる問題が共有され、より健全なインターネットの活用がなされ、社会の発展、人間関係の潤滑油になることを願ってやみません。

本書は、インターネットをめぐる問題について書いた本ですが、はたしてインターネットは人を幸せにしているかについても問うています。

巷には「出会い系サイト」の広告があふれています。そこでやりとりされるのは個人です。たとえば、出会い系サイトやマッチングアプリを通じて「パパ活」が生まれました。パパ活とは、若年層のお金をあまり持っていない女性が、経済的な援助をしてくれる男性(パパ)を探して、実際に金銭的な支援を受ける行為の俗称です。肉体関係のない交際が基本となりますが、若年層に比べて資金力のある層(男性)が金銭を支払い、若年層(女性)の性や時間を買うことも行われているようです。

ここではパパ活を例にしましたが、他にも個人が“コモディティ化”され、個人の性や時間が切り売りされて、取り引きされている現実が存在するのは間違いありません。「援助交際(援交)」や「売春」という言葉で形容され、ある種のマイナスイメージを持つ社会は以前から存在していましたが、パパ活という言葉が言葉として市民権を持っていることに、現代社会の若者の“割り切り”を感じるのは私だけではないでしょう。

特に2010年代に入ってからは、SNS利用を通じて網の目状に個人のネットワーキングが成立したことで、個人間において実在する商材をやりとりすることが一般化していきました。そこから発展して、個人が有している価値そのものが商品として流通することに抵抗がなくなっているのです。

その具現化したものとして、個人の時間を商品として購入することができるサービスやオンラインサロン(ウェブ上で月額会員制のコミュニティ)、個人が株式的なものを発行するサービスが存在します。その他にも、ユーチューバーやライバー(ライブ配信を主とするユーチューバー)という存在も、個人の生活空間を意図的に商品化する一例だといえるでしょう。

こうした事例は、個人の切り売りが当たり前となってきた風潮があるともとらえられますが、個人を切り売りするサービスを利用すること、個人の切り売りの流行に乗ることが必ずしも人の幸せを生むのか否か——このことの是非は一度問うべき問題ではないかと、私は思っています。

インターネット掲示板、フェイスブック、ツイッターやインスタグラムでは、個人の個性や内面性を流通させることで、人々の関心を呼び、多くのPV(ウェブでの閲覧数)を稼ぐことができます。そこに広告価値が生まれ、もしくは、商用利用を呼び込むという側面があることは周知の事実です。

しかし、個人の内面性、時間、そして、実在が商品として流通するということは、それが商品化されていることを意味し、ある種の画一化が図られていることへの恐怖が忘却されていることに気がついているでしょうか。

個人が社会における生存のため、商品としての画一化を選択的に望んでいるのならば仕方ありませんが、商品になっている側にはたして商品となっている自覚があるのか、今一度考えてみる必要があるでしょう。

みんながやっているから。
マスコミで取り上げられているから。
いろいろな人とつながりを持てるから。

そういったことが動機になって、無垢な状態で商品化を受け入れているのであれば、警鐘を鳴らさざるをえません。

炎上という現象も、問題の投稿が掲載されたサイトにアフィリエイト広告などの広告が掲載されており、収益性を帯びていることから、個人の内面性の商品化への一つの実例となっています。

『ネット炎上の研究』を著した山口真一氏によれば、約7割の人が自分自身の炎上を恐れているといいます。ところが、実際に炎上行為を行っている人の割合はネットユーザーの0.5%に過ぎないとも、指摘しています。

このようにネット社会、ネット上の世界では、極端な意見や過激な批判は人の目につき、情報が拡散されやすい傾向にあります。だからこそ、7割の人は恐怖を感じているのです。つまり、炎上行為は少数の人によって引き起こされているものでありながら、そのインパクトは多大であり、心理的負担も大きいのです。

そして一番の問題は、発信しようと思わない人、意見があっても炎上を恐れて発信しない人のコメントなどはインターネット上では一切「見えてこない」ことです。対抗言論なく悪目立ちする権利を侵害する情報が有意な情報として流通している現実が存在するのです。ここにネット社会の大きな闇を感じます。

本書には、このようなインターネット社会において個人が「炎上」に取り込まれ、自分を見失っている現象を私なりに分析した結果も盛り込んでいます。インターネット社会の“負の側面”を多くの人が知り、あらたな被害者を一人も生むことなく、誰もが健全なインターネットの利用ができる一助になれば幸いです。

2018年12月13日
弁護士 唐澤貴洋