伝説の在野史家、礫川全次(こいしかわ ぜんじ)氏による歴史独学入門『独学で歴史家になる方法』。編集担当者がこの本の魅力を語ります。
独学ブームと歴史入門ブームを合わせた企画はできないか、という思いつきから始まった『独学で歴史家になる方法』。単なる「知の消費者」ではなく、「知の発信者」を目指そうというのが、その肝です。最初の読者である編集担当者の目から見た本書の内容と著者のお人柄について少しご紹介します。
私淑という独学者(そして読者)の特権
私淑という言葉があります。私淑(ししゅく)を国語辞典で引くと、「尊敬する人に直接には教えが受けられないが、その人を模範として慕い、学ぶこと」とあります。
大人の勉強とは、すべて私淑なのではないだろうか? と考えます。もちろん、偉い先生について学べる環境があるならそれに越したことはない。しかし、すべての人がそういう環境にあるわけではありません。今さら大学へ行くというのも躊躇するし(それはそれで結構なことですが)、カルチャーセンターの市民講座を受講するといっても、大都市圏はともあれ、地方ではそうもいきません。また、現役世代には、そういう時間的な余裕もないかもしれない。
さらに、福沢諭吉や中山太郎、また柳田國男といった過去の偉い学者には、どこに住もうが、いくらお金を積もうが、直接教えを乞うことはもはやできません。誰しも、彼らの残した本を読むしかないのです。私淑とは必然的に独学たらざるを得ない。
そう、学び続ける人は、みな独学者なのです。独学者は、福沢や中山や柳田といった時代を超えた先生たちと対峙しているのです。本書が主張する「独学者の哲学」には、この思いがみなぎっているはずです。
著者もひとりの独学者
本書の編集担当者は、まさにこの私淑していた著者に直接お会いし、本をつくるお手伝いをすることを目標とし、喜びとしています。礫川先生もその一人だったのです。
しかし、そんなことよりも、礫川先生ご自身が、様々な先達の私淑者であり、独学者であることが、本書を読めばよくわかります。
礫川先生は、斯界の話題をさらった処女作『サンカと説教強盗』(河出書房新社)の構想について、吉本隆明の著書からそのヒントを得たと書いています(第3講)。さらに、その明晰な文章・文体を福沢、石黒忠悳(ただのり)、瀧川政次郎の書物から学んだことを吐露しています(第20講)。
また、大津事件にまつわる史跡を再発見するくだりでは、書物とともに史料としての絵ハガキからも学び、さらに現地の人々を尋ね歩いて教えを乞い、たどりついたものであることを明かしています(第14講)。これなどは、フィールドワークの成果ですが、独学者は一個の静かな冒険者でもあることがうかがい知れます。
真の独学者による独学者のための歴史独学入門
本書『独学で歴史家になる方法』は、歴史愛好家の方々に対して、「独学」によって「歴史家」になることを、つまり「歴史独学者」に転身することをお勧めしようという本です。「独学のすすめ」といった本は、すでに何点も出ていますが、「歴史」という分野に特化した「独学のすすめ」は、これまでありませんでした。
本書は、歴史愛好家に歴史独学者になることを勧めるに当たって、その際の覚悟、そのためのノウハウなどを、細かく親切に、かつ具体的に説明しています。読者対象としては、そろそろ定年後の人生を考えはじめた年代の歴史愛好家、つまり中高年の歴史愛好家諸氏を想定していますが、もちろん、若い歴史愛好家の読者を排除するものではありません。
実践的ノウハウの提供に徹した内容
本書は、第0部・第1部・第2部・第3部・付録と、全五部から構成されています。第0部(はじめに)で、本書の立場が明らかにされ、第1部では、「歴史独学者」という生き方が説かれます。第2部では研究の進め方について、第3部では研究のまとめ方について解説されています。付録では、お勧めできる「研究テーマ」15例、参考になる文献55冊を挙げています。本書は、あくまでも、「実用」に徹した作りを意識しているのです。
第0部から第3部までは、「ですます体」の講義調で書かれています。第1講から、第23講までの全23講です。その第2講「なぜ『歴史』をお勧めするのか」のなかに、次のような文章があります。
歴史というのは、誰でもが気軽に始められる学問です。これを研究するに当たって、特殊な知識・技術・才能などは必要ありません。
歴史に関する基礎的な知識があれば、もちろん、それに越したことはありません。ですが、たとえ、そうした知識に欠けるところがあったとしても、そんなことは少しも問題になりません。中学生・高校生用の教科書・参考書、一般的な入門書・概説書、歴史年表・歴史地図、あるいは電子辞書などがあれば、十分に補いがつくからです。
やや専門的な知識についても、専門的な辞書、専門書、専門雑誌、インターネット上の記事・論文などを通して、これを入手することができます。(中略)
歴史の研究の上では、また、「才能」や「センス」といったものも、あまり関係がありません。特に独学者の場合、研究の武器になるのは、「才能」や「センス」ではなく、むしろ、「愚直さ」や「探究心」といったものです。具体的には、「疑問」をそのままにしておかない、探究心を持続する、先入観や定説を疑う、などの心がけです。これらについては、このあと、関係の各講で論じてゆくことになるでしょう。
(18~20ページ)
このように本書は、「歴史独学者」を目指す方々に向かって、平易に、また優しく語りかけています。その一方で、本書は、初学者・独学者が陥りがちな傾向について、警告を発することを忘れていません。第23講「研究はこうしてまとめる」のなかには、次のような文章があります。
権威ある研究者の著書や論文を慎重に読み、これを要約したとしても、それは「研究」にはなりません。これが評価されるのは、せいぜい大学生のレポートまでです。有名・無名の研究者の著書や論文にある見解を、あたかも、自分の見解であるかのように述べることは、問題外です。
本や論文を書くにあたっては、どこまでが、他人の見解で、どこからが自分の見解であるかを峻別し、読み手に対し、それがハッキリとわかるような形で、提示しなければなりません。
(251ページ)
本書の最大の特徴は、ありふれた励ましや、抽象的なアドバイスを避け、具体的な「ノウハウ」の提供に徹しようとしたところにあります。このことは、各講のタイトルを見ればおわかりになるのではないでしょうか。例えば、「意外なところに貴重な情報が眠っている」(第11講)、「現地を訪ねれば何か発見がある」(第14講、第15講)、「手初めに『碑文』を写してみよう」(第16講)、「ブログを研究日誌として活用する」(第22講)などがそれです。
著者について
あらためて、本書の著者、「在野史家」の礫川全次(こいしかわ・ぜんじ)先生に触れておきましょう。近現代史、犯罪民俗学、宗教社会学関係で、さまざまな著作をお持ちですが、ご本人によれば、これらは、すべて「独学」による成果だとのことです。本書『独学で歴史家になる方法』は、まさに、それにふさわしい書き手を得たと言えるでしょう。
本書の最終校正を終えた段階で、担当者が電話で感想などを求めましたところ、次のようなお返事をいただきました。
著者から――「書き終えての感想」
今回は、「独学で歴史家になる方法」という、まことにヤリガイのある課題を与えていただきました。出版社のホームページやネット書店のサイトには、臼井新太郎さん装丁による素晴らしい表紙デザインがアップされており、実際に本を手に取る日が待たれます。
また、サイトなどには、不肖・礫川のことが、「希少な文献の博捜と歴史探偵ばりの推理力を駆使しての著作は、まさに独学者のレジェンド」などと紹介されてあったりして、穴があったら入りたい気分です。ブログなどで公言している通り、礫川は一介の年金生活者に過ぎません。晴の日は、農作業に従事し、雨の日は、本を読んだり、調べ物をしたり、ブログを更新したりしています。
今回の本は、歴史を愛する方々に向けて、文字通り、「独学で歴史家になる方法」を説いたものですが、私個人としては、一独学者として、ひとりでも多くの「研究の同志」を得たいという気持ちで書きました。この本を読んで、ひとりでも多くの方が、「研究のテーマを探してみようか」、「自分史でもまとめてみようか」、「碑文でも筆写してみようか」、「とりあえず、ブログでも開設してみようか」と考えていただければ、この本を書かせていただいた甲斐があるというものです。
(文:日本実業出版社編集部)