『ビジネス教養として知っておきたい 世界を読み解く「宗教」入門』の著者、同志社大学神学部の小原克博教授インタビュー。後編では、「トランプ大統領とアメリカ社会」から「日本人の労働観」まで、広範なテーマについて宗教を軸に語っていただきました。
トランプ大統領とアメリカ社会の論理
(前編から続く)
──宗教への偏見やバイアスは、「知る」ことによって克服できる、というお話でした。
ところで、知らないというか、よく理解できないことに、「トランプのアメリカ」があります。トランプ氏の支持層として「キリスト教右派」というワードが頻繁にメディアに登場しますが、両者はなぜ強く結びつくのでしょうか。また、極端に世俗的であり宗教的でもあるアメリカという国を、どう理解したらいいのでしょうか。
トランプ大統領を支えているのは、おおざっぱにいうと宗教右派であり道徳的な保守層です。両者はやはり保守的な宗教的価値観によって結びついています。
大統領選挙のときに必ず問われるのは、よく知られているように、妊娠中絶の問題、同性愛・同姓婚の問題をどうするかということです。たいていの場合、民主党と共和党の候補者では態度が異なります。前回の大統領選では、民主党のヒラリー・クリントン氏は「中絶は女性の権利」「性的な多様性を認める」という立場でしたが、これを支持する人たちも半分くらいいるわけです。
ところが反対に、こうした考え方は「アメリカの伝統的な価値観を崩壊させる」「もう一度、伝統的な価値観を取り戻さなくてはいけない」という人たちがトランプ氏を支持しました。中絶には反対、結婚は異性間でするものであって同性婚などけしからん、と考える人たちです。
こうした状況は毎年のように調査されています。それによると、中絶、同性婚を支持する人たちは徐々に増えてきています。しかし保守派も負けてはいません。なんとか巻き返そうとしていて、両者はしのぎを削っています。
トランプ氏自身は、敬虔なクリスチャンであるとは簡単にはいえません。大統領選挙の前も、クリスチャンの間で大激論がありました。「こんな女性蔑視的な人物を支持していいのか」ということで、一時分裂しかけました。でも、アメリカの伝統的な価値観を守るためには、トランプに投票しヒラリーを落とすしかないと、やむを得ず大同団結したということです。大統領選の結果は大方の予想を裏切るものでしたが、それくらい見えない形で、宗教的な保守層がまだまだ強固に存在しているということなんですね。
また、「トランプ氏のような経済的成功者は神に祝福されている」という考え方によって支持されている側面もあります。
──どういうことでしょうか。
アメリカのキリスト教社会の特徴的な考え方に、経済的成功と信仰を結びつける論理があります。簡単にいうと、「もし自分が、死後天国に行けるような人間なら、生涯にわたって神が祝福してくれるわけだから、経済的に恵まれた生涯をおくるはずだ」という考え方です。すなわち、「経済的に成功している人は、神に愛され、祝福された存在だ」ということ。成功するということがいわば至上の価値になっているわけです。
──なるほど。アメリカはやはり、2つに分断されているのでしょうか。
アメリカのリベラルと保守は、必ずしも固定されているわけではありません。たしかに両極は存在していて、アメリカ社会をほとんど分断しているともいえます。ただし、真二つに分かれているわけではなくて、様々なレベルの中間層がたくさんいるんです。どっちにでも動くような。そこにアメリカの多様性があって、常に変化の可能性がある。
先日、ミュージシャンのテイラー・スウィフトが「私は民主党に投票します」と宣言しただけで、あっというまに30万人が有権者登録をしたのがその証拠です。セレブリティのひと言で、いままで無関心だった人が特定の政治的な行動をはじめる。アメリカ社会の多様性があらわれた現象といえるでしょう。
──多様性(ダイバーシティ)が、アメリカの活力の源なのかもしれませんね。
多様性がなければイノベーションは生まれない
──ところで、ビジネスの世界でも「ダイバーシティ」がキーワードになって久しいですが、日本企業はうまく対応できているのでしょうか。
ダイバーシティは重要です。しかし、取り入れるのは意外と難しいと思いますよ。いままでの日本の経営スタイルというのは、どちらかというと、きちんとしたルールがあって、それに従うことによって最大の生産効率を引き出すやり方でした。
でもこれからは、同じことを繰り返していても業績が保障される時代ではなくなってきました。まじめにやっているのにうまくいかなくなってきたときに、従来と異なる手を打てるようにするためには、普段からダイバーシティを育てておかないと対応できないでしょうね。
多様な、違うものが融合することによってまったく新しいものが生まれます。化学反応のような変化ですね。ビジネスでいうとイノベーションです。自分たちの業界の常識の中だけで、どうすれば効率が上がるかということばかり考えていたら、いつか行き詰まってしまうはずです。
そうならないように、あらかじめ自分たちのフィールドに外部から異質なものを受け入れて、知の融合を果たすことができるような環境づくりをしておく。それがなければ、イノベーションなんて起きないと思うんですよね。
最近では「ビジネスパーソンにもリベラルアーツが必要だ」といわれるようになってきました。リベラルアーツは日本語では「教養教育」と訳されることが多いのですが、本来の意味が十分に表現できていないのではないかと思います。
単に「物知り」になればいいというのではなくて、自分が知らない、未知の世界の知識を積極的に取り入れ、異なる知識を融合させるベースとしてリベラルアーツを位置付けることが大切です。それができれば、個人レベルでも企業レベルでも、将来のことを考えてリベラルアーツ的な学びをする、というのは意味があることだと思います。一部の企業では、こうしたことを社内研修に取り入れるようになってきました。
ただまだまだ、売上を上げるために社員を追い込んで、根性をたたき直し「一致団結」させるような研修が多いようです。それよりも、まったく違うこと・新しいことを学び、従来の型にはまらない姿勢を身につけることの方が大事だと思いますね。直接役に立たないことを知ることによって、将来それが思わぬ形で役に立つ可能性もありますから。
──たとえば、宗教を学ぶことによって「まったく違うもの」の視点を取り入れることができるというわけですね。
「安息日」に自分を立て直す習慣を
もうひとつ、働く皆さんや企業の経営層の方々に考えてほしいのは、日本社会は、「休み」をきちんと確保できるような労働環境をつくっていかないといけないということです。
イノベーションは、精神や制度のゆとりがないと生まれませんから。日本には、自分を徹底的に追い込んで、限界状況ではじめて活路がひらけるんだ、というような考え方が根強くあります。このようなスポ根物語のような考え方では、組織の持続可能性やイノベーションは生まれないでしょう。
きちんと休みをとって、脳をクリエイティブな状況に持っていくためにどうしたらいいかということを考えたほうがいいです。いまだに「過労死」などへの対応が十分じゃない、というレベルでは早晩行き詰まると思います。
──ユダヤ教徒は、週に一度の「安息日」を厳格に守るそうですね。
ユダヤ教徒は、「安息日」に「自分がなぜここにいるのか」ということを考えるんです。自分を振り返るというのは、立ち止まらないとできないことです。忙しくしているときには、そういう考え自体が吹っ飛んでしまいますから。疲弊して、自分がバラバラになる前に、自分を立て直す時間をつくることが大事です。
私たちは、労働観を根本的に変えていく必要があるのではないでしょうか。長時間労働や過労死のような問題が起こるのは、企業や経営者が、一人ひとりを単なる労働力としてしか見ていないからではないでしょうか。
また、「外国人技能実習生」にかかわる問題もそうです。彼らは「日本で技術を学びたい」という真剣な動機で来ているのに、まったく違う仕事をさせたり、長時間労働や賃金未払いなどの問題が頻発しています。
技能実習生はカトリックであったり、ムスリムであったりします。また、ブラジル人やフィリピン人、インドネシア人だったりもします。そういう人たちを、単なる労働力ではなく、尊厳を持ち、異なる価値観を持つ一人ひとりの人間として見る視点が、企業や個人にあるかどうか。これは非常に大事な点だと思います。
(了/文責:日本実業出版社)
著者プロフィール
小原 克博(こはら かつひろ)
1965年大阪生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)。現在、同志社大学神学部教授、良心学研究センター長。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。先端医療、環境問題、性差別などをめぐる倫理的課題や、宗教と政治およびビジネス(経済活動)との関係、一神教に焦点を当てた文明論、戦争論などに取り組む。神道および仏教をはじめとする日本の諸宗教との対話の経験も長い。
著書に『一神教とは何か』(平凡社新書)、『宗教のポリティクス──日本社会と一神教世界の邂逅』(晃洋書房)、『神のドラマトゥルギー』(教文館)、『宗教と対話──多文化共生社会の中で』(共著、教文館)、『原発とキリスト教──私たちはこう考える』(共著、新教出版社)、『原理主義から世界の動きが見える──キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と虚像』(共著、PHP新書)などがある。