同一民族が南北の国家に分断された朝鮮半島。しかし、この地にはもともと、顔つきも言葉もまったく違う2つの民族が存在していました──。
『教養として知っておきたい 「民族」で読み解く世界史』が好評の宇山卓栄さんによるトークイベント、後編「朝鮮について」をお届けします。
(前編「中国について」はこちら)
何度も合意を反故にしてきた北朝鮮
宇山卓栄氏:次に、朝鮮半島についてお話ししたいと思います。
最近の報道で驚いたことがあります。今週発表の日本テレビの世論調査。安倍内閣の支持率から始まって、外交、安保の問題についてのアンケートもありました。
安倍総理の支持率は28%しかなかった。これはこれでいいんですが、私が驚いたのは次の項目です。「北朝鮮に対して、圧力の強化と対話の重視では、どちらが望ましいと思いますか 1.圧力の強化 2.対話を重視 3.わからない」。結果は、「圧力を強化すべきである」と答えた人が全体の39.8%。ざっと4割です。他方「対話を重視すべきである」と答えた人が44.3%。つまり、圧力路線より対話路線のほうが多かったんです。
これまで北朝鮮にはさんざんだまされてきましたけど、それでもまだ対話しようという人たちが半分近くいることになります。
北朝鮮は60年代に核開発を始めています。これが70年代にソ連や中国の支援で一気に進み、80年代には核兵器の原型ができたといわれています。その後NPT、核不拡散条約に加盟し、いったん、核開発を止めるという約束をします。ところが90年代に入るとNPTから脱退し、再び核開発へ舵を切るわけです。
そして1994年には、核兵器がほとんど完成間近の状況になった。偵察衛星でその証拠をつかんだアメリカのクリントン大統領は、これは放っておくわけにはいかないと、すぐに北朝鮮に「サージカル・ストライク」、外科手術的攻撃といわれますが、これを核施設にピンポイントで仕掛けようと、計画をつくったわけです。
ところが当時、韓国の金泳三大統領がワシントンに電話をかけて、もし攻撃するようなことがあれば北朝鮮はかならずソウルを火の海にするだろうと、攻撃計画の中止を要請した。クリントンも本音をいえば強硬な策は採りたくなかったので、対話に応じることにした。そして急きょジミー・カーター元大統領をピョンヤンに派遣して、北朝鮮の核開発プロセスを凍結することで合意したというわけです。
ところがまた、90年代後半になって北朝鮮は核開発を再開します。アメリカにはブッシュ大統領(息子のほう)が登場してきて、北朝鮮をイラン、イラクとともに「悪の枢軸」として名指しで非難します。そして2003年のイラク戦争で、アメリカはサダム・フセイン大統領を捕えます。
これを見た北朝鮮の金正日は「次はわれわれかもしれない」と危機感をおぼえ、対話に応じた。ところがブッシュが退陣しオバマ大統領になるとまた核開発を始めた。これが、今日の金正恩体制にまで続いていて、今度、北朝鮮はトランプ大統領と対話するという。信用できない、と私は思います。