仕事のメールや書類、プライベートのブログやSNSなど、文章を書く機会は意外と多いもの。その、一生懸命書いた文章が相手に理解してもらえなかったり、自分の熱意や思いが伝わらなかったりしたら悲しいですよね。どうせ書くなら「伝わる文章」を書きたいものです。

「伝わる文章」のコツは「形容詞」を使わないこと、国立国語研究所の石黒圭教授はそう断言します――。

「レトリック」が、伝わる文章のキモ

こんにちは。私は国立国語研究所で日本語を研究し、外国の方が日本語を学ぶ楽しさを世界に発信する仕事をしています。仕事柄、「上手な文章の書き方」について質問されることがよくあります。

でも、「上手な文章」とはどんな文章でしょう? それは、相手にきちんと意図が伝わる文章、必要に応じて説得したり、共感を生んだりする文章だと、私は思います。

そのために必要な技術が、「レトリック」です。

皆さんは「レトリック」とは何か、ご存知ですか? 私なりの考えを述べると、レトリックとは「文章に一手間加えて表現を効果的にする方法」です。

文章を上手に書くために大事なのは、どのような言葉を選んで、どのような配列にし、どのような一手間を加えるか。つまり、「ぱっと浮かんだ言葉をそのまま使わずに、より精度を高めて表現する」こと。その技術が「レトリック」です。

とくに、書き言葉において「レトリック」は重要です。メール、ブログ、配布資料など、ジャンルや媒体の種類を意識して表現を洗練させる。あるいは、会議なのか、懇親会なのか、共感してほしいのか、決断してほしいのかなど、目的や状況に合わせて言葉を変える。大人であれば、相手の気持ちを動かす文章の書き方を知っておく必要があります。

じつは、効果的に言葉を伝えて相手の気持ちを動かしたいとき、「文章に一手間加える工夫」は簡単です。「形容詞を使わない」こと、これに尽きるのです。いくつか例をあげながらご説明しましょう。

便利な「形容詞」、使いすぎには注意が必要!

なぜ形容詞を使わないということが有効なレトリックになるのでしょうか。一つめの理由は「文章は『根拠となる事実』を述べたほうが伝わりやすい」からです。

形容詞は、「面白いです」「おいしかったです」「楽しかったです」のように、一言で自分の気持ちを表現できる便利な言葉です。しかし、この「便利さ」に罠があります。

たとえば、「石黒先生はとても優しい」という文章を読んで、どう感じますか?「別に何も感じない」「へえ、と思う」という方が大半でしょう。

では、次の文章はどうでしょう。

「石黒先生は物腰が柔らかく、学生たちの素朴な質問にも一生懸命答えてくれる。頼まれた仕事は断らず、同僚の無理なお願いも聞いてくれる」

前の文章と比べると、石黒先生が「いい人」「優しい人」ということが伝わってきませんか?

ここがポイントです。形容詞は、相手にきちんと伝えるために、「基準」をセットで示すことが必要な言葉です。「あの人は優しい」という場合には、怒らないとか気遣い上手とか、その人を優しいと判断した「基準」を示さなければ、伝わりにくくなってしまいます。

これはとくに書き言葉で顕著です。話し言葉であれば、たいていの場合、同じ体験を共有しながら会話しています。ですから、「このショートケーキおいしいね」と形容詞を使っても違和感を生じません。それは、「同じ店で買ったショートケーキを一緒に食べている」という経験を通し、「基準」を共有できているからです。

一方、書き言葉を届ける相手は、目の前に存在しない、同じ経験を共有していない誰かです。基準を共有しない他者に対しては「形容詞」の根拠となる事実を伝えないと、いくら「おいしい」「楽しい」「うれしい」と文章に書いても、共感されにくいのです。

事実をヒントとしてちりばめると、印象に残る

さて、形容詞を使わないことがレトリックとして有効な二つめの理由は、「自分で答えを出させる」表現のほうが効果的で、印象に残りやすいからです。

形容詞はある意味では答え、結論です。「石黒先生は優しい」というときの「優しい」は、たくさんの経験を経てあなたが頭の中で生み出した答えです。答えを教わっても、過程も含めて教えないと相手は理解できず、伝わりません。

相手に印象づけるためには、書き手は読み手にヒントだけ与え、読み手に「自分で考えさせる」ことが大切です。

たとえば、何十年も国語教科書に採用されつづけている『ごん狐』という童話があります。『ごん狐』がどうして教科書に使われ続けるのかというと、「答えを読み手に考えさせる文章」だからです。