「全員が主体性をもって取り組む必要がある」「もっと議論をすべき」のようなマジック・ワードを駆使した「無意味な意見」は、なにも前回紹介した「直感を信じすぎる人々」だけが言っているわけではない。
マスコミや批判主義的な人がよく振りかざす「局所的には正しい意見や批判」もそうしたもののひとつ。「国民に納得のいく説明を」「教育が悪い」など、よく使われる安直で無意味なフレーズに聞き飽きた人も多いだろう。
なぜ、こうした「無意味な正論」を語りたがるのか。前回同様『その言葉だと何も言っていないのと同じです!』(吉岡友治著)から、3回にわけてみてみよう。
※本記事は同書から一部編集のうえ、転載したものです。【「いつも正しいことを言いたがる人々」の傾向と症状】
- 正しいけれど無意味な表現を使う
- いつも批判する立場に立つ
- 捨て台詞で印象操作する
- 陳腐な定型パターンを使い回す
- 粗雑な比喩でイメージを作る
- 社会問題を捏造する
大衆の好みに合わせるメディア
「直感主義者」は、社会の大部分を占めるので、マスコミなどでは、そういう層を狙って独特な言葉の使い方も生まれる。これを「陰謀系のマジック・ワード」と、とりあえず呼んでおこう。「陰謀」とは言っても、イルミナティとかフリーメイソンのことではない。明らかに間違いとわかっているにもかかわらず、大衆の思考や好みの傾向に合わせて、適当な嘘を言ったり、ごまかしをしたりする傾向のことである。
無意味に正しい表現を使う
たとえば、マスコミは、いつも正しい側に立ちたがり、間違った側を糾弾したい。だから、間違ったことは言えない。「市場の判断が注目されます」は、その典型だろう。
為替相場や経済状況は猫の目のように変わり、その予測をするのは至難の業だ。しかし、だからといって「これからどうなるかは誰にもわかりません」とは言えないから、「市場の判断が注目されます」と述べる。
たしかに、こう言っておけば、相場が上がろうが下がろうが「予想と違うじゃないか」とは言われない。だが、この表現はちょうど「晴れか雨かは、明日の天気で決まる」と言っているようなものだ。天気予報でこんな表現を使われても、何の役にも立たない。それでも「正しい側に立ちたい」から、こんな妙な表現をこしらえるのである。
無意味なのは「悩ましい問題である」なども同様だろう。「問題」とは、解決が要求されている状況だ。大きな問題であればあるほど、いくつかの選択肢があり、それぞれに得失があるので、たいてい「こちら取ればあちら立たず」というジレンマに陥る。どうしようか、どうしたらいいか、と当事者たちが悩む。
だから「問題はいつも悩ましい」。そもそも、悩ましくないならすでに問題ではないのだ。
こういう発言は「トートロジー(同義語反復・恒真式)」と言われる。どんなときでも正しい言葉だ。
しかし、これは一見よさそうだが、現実と何の関係もないので、有益な情報ももたらさない。コメントは間違う可能性があるからこそ、意味がある。天気予報も明日雨が降るリスクを冒して「晴れます」と断言するから意味を持つのだ。間違いを恐れてばかりいると、結局、無意味な情報をまき散らすことになる。
正しい「批判」は無意味な「批判」