新しい繁栄の中心は、それまでの「中心」の外側で、しかしそんなに遠くはない周辺の場所から生まれる。それは世界全体でみれば「となり」といえるような近い場所である。
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秋田さんはそれを「となり・となりの法則」と呼び、その視点で世界史を見渡すと、世界史は一本のつながった物語になって見通しやすいものになる、と述べています。
世界史における、繁栄の中心の移り変わりを示した地図を見てみましょう。
一本につながった世界史の物語
上の地図があらわしている繁栄の移り変わりをおおまかに解説すると、以下の文章のようになるでしょう。もちろんかなり大雑把ではありますが、「一本のつながった物語」の骨格にはなっているはずです。
西アジア~ギリシア・ローマの時代
紀元前5500年代頃に西アジアのメソポタミアで生まれた最も初期の重要な文明は、周辺のエジプトやシリア、アナトリア(トルコ)、ペルシア(イラン)などにも広がりました(地図①~②)。
一方、その西のとなりの地域で、西アジアの文明に学んだ人々がおこしたのがギリシアの文明です。その一派であるマケドニアは、西アジアをも征服して大帝国を築きました(③)。紀元前500年代頃のことです。
次の中心はさらに西に移ります。ギリシアの西どなりのイタリア半島でおこったローマは、ギリシアを含む周辺国を征服して、紀元後まもなく、地中海を囲むローマ帝国を築きました(④)。しかしその栄華もやがて衰退し、帝国の西半分が崩壊、繁栄の中心は東ローマというギリシア周辺に再び移りました(500年代頃、⑤)。
イスラム~西ヨーロッパの時代
600年代、今度は、隣接する東ローマ帝国に影響を受けたイスラム帝国が台頭し、繁栄の中心は東どなりのバグダード周辺に移ります。その後数百年間は、帝国の超大国化と分裂を経ながらも、イスラム諸国がもっとも繁栄した時代でした(⑥~⑦)。
西ヨーロッパの中ではイスラムの国ぐにと距離が近く、彼らの文化をどん欲に吸収したのがイタリアとスペインです。1400年代からはこの2つの国が繁栄しました(⑧)。イタリアでは「ルネサンス」が花開き、スペインは大洋を超えて「植民地」を支配しました。
1580年代には、隣接するスペインに支配されていたオランダが、戦争を経て独立します。小さな国ではありましたが、先進的なスペインの文化を吸収し、とくに海運・貿易で圧倒的な優位に立ちました。1600年代はオランダの時代といえます(⑨)。