しかしながら、日本がそれほど悪辣な国であったのかというと、そんな事実はない。日本も含む世界全体が、2回にわたる世界大戦を経験して、ようやく国際紛争を解決する手段として武力行使はしないんだ、というところまできたんです。たしかに、第1次世界大戦後に不戦条約(1928年)ができて、戦争を違法化する方向性はできつつあったけれど、東京裁判が断罪したような「平和に対する罪」という概念は成立していなかったと考えるべきではないでしょうか。

※不戦条約:国際紛争を解決する手段として締結国相互が戦争を放棄し、平和的解決をはかることを規定した条約。1928年に日米英独仏伊など15か国が署名。のちソ連など63か国が署名した。
※平和に対する罪:侵略戦争や国際法に違反した戦争を計画、準備、開始、実行した罪として、ドイツと日本の国際軍事裁判所で適用されたが、現在に至るまで、それ以外に適用事例はない。


中西
 おっしゃるとおりです。ところが、戦後の日本ではどういうわけか、第1次世界大戦後に平和を希求する新しい国際秩序ができたと考えてしまうんですね。

西岡 そして、日本だけがそれに逆らった、と。

中西 そう、「70年談話」もそうですが、日本は「挑戦者」だった、と。

西岡 しかし、それは正確な歴史認識ではありません。たしかにそういう流れができつつあったんでしょうけど、一方では1929(昭和4)年の世界恐慌以降、世界はブロック経済化していくわけですね。つまり、欧米諸国がドルやポンド、フラン、マルクといった通貨圏に関税障壁をめぐらせて、自国経済の保護をめざすようになった。

そうなると、世界中に広大な植民地をもつ国が有利になります。列強としては新たな植民地が欲しいわけですが、あいにく世界の分配はほとんど終わっていて、それ以上、植民地をめぐる争いが起きなかったというだけですね。植民地支配は悪いことだ、という認識が生まれたわけではなかった。

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中西 実際、第1次世界大戦後に植民地は増えています。それは、国際連盟によって「委任統治」という制度ができたからですね。第1次世界大戦の戦勝国には、国際連盟から統治を委任されている、という「イチジクの葉っぱ」といってもよい偽善きわまるフィクションをつくり出すことによって、他国から干渉されることなく、「委任統治領」という名の実質的な植民地が、さらに多く手に入るようになった。

これは他人事ではなくて、日本も太平洋の島々を手に入れていますね。サイパンとかテニアンといった島はドイツ領でしたが、第1次世界大戦後は日本の委任統治領になりました。もっとも、日本は南洋庁という役所を新たにつくって、日本からのお金を使い、「もち出し」で、しかもきわめて平和的に統治しましたけれども。

しかし、この国際連盟のもとでの委任統治という制度は、世界中にさらなる侵略戦争をうながしたと思います。たとえば、オスマントルコという国がありましたね。16世紀から17世紀にかけて、北アフリカから中東、東ヨーロッパに至る大帝国を築き上げた国ですが、第1次大戦ではドイツ側(同盟国)に立って参戦した。

対する連合国側は、イギリスやフランス、イタリア、ロシアといった国々です。このとき、連合国はここぞとばかりにオスマントルコを攻め、これを分割して切り刻んで、武力で占領しました。映画「アラビアのロレンス」に登場するのは、このとき行なわれたイギリスとオスマントルコの戦争です。

西岡 イギリスが二枚舌どころか三枚舌も使って、現在のパレスチナ問題の原因をつくったときですね。

中西 そうです。イギリスはパレスチナを自国の支配下に入れる目的でトルコから領土を奪っておきながら、戦争でアラブ人の協力を取りつけるために「戦後はトルコから独立させてやる」と約束し、さらにその同じ土地をユダヤ人にも与えると騙して、ユダヤの金融資本から大枚のお金を巻き上げた。

西岡 その裏で、フランスとはその土地の分割統治を密約していたわけですね。そうして第1次世界大戦に勝った後、フランスとの密約だけ履行した。その後、第2次世界大戦における日本の奮闘もあって世界中の植民地が独立すると、衰退したイギリスは無責任にもさっさと中東から手を引いた。結局、イギリスの空手形を原因とするアラブ人とユダヤ人の争いだけが残った、……というのが、パレスチナ問題ですね。イスラム教とユダヤ教の宗教戦争ではない。

中西 大略、そんなところです。こんな悪辣な侵略戦争は、世界史でも他にありません。イギリスは、イラクやヨルダンでも同じようなことをしていて、しかもそれを第2次世界大戦まで拡大深化させていきました。これは帝国主義の侵略そのものです。フランスも同様です。ですから、第1次世界大戦後の国際連盟の成立や不戦条約も、実は何の区切りにもなっていない。とくに戦間期のイギリスの中東政策はひどいものでした。

ですから、いま世界中で起こっている紛争の多くは、第1次世界大戦の後に開催されたヴェルサイユ講和会議によって確立したヴェルサイユ体制に原因があるんですね。アジア・太平洋地域においては、ワシントン会議によってできたワシントン体制に起因する問題が多い。