サトル「なんか、難しい話になってきましたが、つづけてください」
ソクラテス「ちっとも難しい話じゃないよ。要は、もしキミが恋をされたいと思うなら、手あたりしだいに女の子をあさったり、気になる子の気を必死で引こうとしたりするべきじゃないってことだ。キミはまず、キミ自身と向き合うべきなんだ。自分を磨いて、キミ自身を恋に値する人間に変えていくべきなんだよ」
サトル「それはちょっとハードルが高そうだなあ。それに、恋に値する人間になれって言われても、どうすればいいかわからないし……」
ソクラテス「善きものを求めて立派な仕事をしてもいいし、俗世の成功を捨てて無心で知を追い求めたっていい。とにかく、自分にとって真に価値があると思えるものを見つけて、そこへ向かってまっすぐに突き進んでいくことだ。それができれば、キミはきっと恋に値する人間になれるはずだよ」
サトル「そうなんですか?」
ぼくは腕を組みながら、首をかしげた。
ソクラテス「そうさ。何しろ、自然の理は、公私いずれの面にせよ、できるだけ優れた人間であろうと心がけている者に最高の報償を与えるものだから。自分で自分を支配できる存在になれるという、世にも美しい報いをね」
サトル「自分で自分を支配できる存在になることが、恋に値する存在になるってことなんですか?」
ソクラテス「そのとおりだ」
ソクラテスは深くうなずいた。
サトル「恋愛の話をしていたはずなのに、なんだかすごく大きい話になっちゃいましたね」
ソクラテスはパッと目を輝かせた。
ソクラテス「当然さ。気づいているかい、サトルくん? この前、友達についての話をしていたときと、ぼくの言っていることが基本的に変わっていないことに。人生をとりまくもろもろの問題は、すべて『善く生きるとはいかなることか』という一点に帰着するんだよ」
サトル「女の子の口説き方を教えてもらえると思ってたのになぁ」
ソクラテス「そんなことを聞きかじりでやっても、気持ち悪がられるだけだよ」
サトル「女の子の気を引くかけひきの方法についても、教えてもらえると思っていたのに……」
ソクラテス「そういう知識も、キミ自身がミステリアスな人間になったあとで、はじめて意味を持ってくるものだと思うよ」
サトル「本当に?」
思わず「あなたは恋愛経験がないからそう思うだけじゃないですか」とつづけそうになった。ぼくはグッと言葉を飲み込んで、オブラートに包んだ表現で自分の疑いを示した。
サトル「ちなみに、失礼ですけど、ソクラテスさんは恋愛経験がおありなんですか? 結婚なさってるとか?」
ソクラテス「結婚ならしているよ。妻の名前はクサンチッペと言う」
ぼくは意外な事実に驚愕した。
サトル「そ、そうなんですか」
ソクラテス「なんで? ぼくに恋愛経験があることを疑ってるの?」
サトル「い、いや、そういうわけじゃないですけど。ちょっと気になったので……」
ソクラテス「ちなみに、恋と愛は、共通する部分もあるけど、基本的にはべつの話だよ」
サトル「そ、そうなんですか。ただ、ぼくにはまだそういう話は早そうなので、そのときになったらぜひまたお話を聞かせてください」
ソクラテス「もちろんだ」
ふと気づくと、心地よい達成感のようなものがあった。と同時に、ソクラテスと話をして頭を使いまくった反動か、ぼくはすっかり疲れ果ててしまっていた。
サトル「ソクラテスさんと話をしていると凹まされるし、むかっ腹も立つけど、最後の最後には、不思議と頑張らなくちゃって気持ちになるんですよね。さて、そろそろ寝る時間ですし、今日はこれで帰りますね。話し相手になってくださって、どうもありがとうございました」
ソクラテス「こちらこそ。それじゃサトルくん、おやすみ」
サトル「おやすみなさい」
ソクラテス「さて、と。ぼくも、ギリシャのエーゲ海みたいに青い、あのシャカシャカした家に帰って眠ろうか」
サトル「……風邪をひかないように、お身体にお気をつけください」
ソクラテスがブルーシートの家に入って行く様子を見ながら、ぼくは自分の心の中に明るい気持ちが灯っているのを感じた。