ソクラテス「たしかに、恋人ができると、すべてのことが新鮮で楽しく感じられるものだ。しかし、どうかな。そういう刺激は、付き合いが長くなると、だんだん少なくなっていくんじゃないかな?」
サトル「それはまあ、そうでしょうね」
ソクラテス「そして、お互いを求め合う気持ちも薄れていく。そうやって、恋はいつか冷めていく」

人は「ないもの」を求めるときに快感を覚える

サトル「そう言えば、ある脳科学者が、恋は3年間しか持続しないって言ってたような気がします。たしか、ドーパミンが出てどうとかこうとか。でも、そんなことは付き合ってみなきゃわからないですよね?」
ソクラテス「その脳科学者とやらがどういう研究をしてるのかは知らないけど、恋が長い間持続するものじゃないってことなら、恋の何たるかを知っていれば、すぐにでもわかることだ。グーパメンを調べるまでもなくね」
サトル「ドーパミンです」
ソクラテス「そうそう、そのドーパミンをね」

サトル「『恋の何たるかを知っていれば』って、どういうことですか?」
ソクラテス「こういうことだよ。キミは食べ物が自分の内にあるとき、つまり満腹なときに、食べ物を求めることがあるかい?」

サトル「またよくわからない質問を……。そんなことはありえませんけど、それがどうかしたんですかね」
ソクラテス「じゃあ、飲み物が自分の内にあるときに飲み物を求めることは?」
サトル「あの、いったい何が聞きたいんですか?」
ソクラテス「ぼくが聞きたいことを聞きたいんだよ。求めることはあるの? ないの? そこだけが重要なんだ。お願いだからちゃんと答えてくれ」
サトル「はいはい、答えればいいんでしょ。そういうことならありませんよ。飲み物がほしいのはのどが渇いているときだけです」

ソクラテス「いい答えだ。そうすると、ぼくたちは、自分の内にあるものは欲求しないわけだ。どんな欲求であれ、自分の内にすでにあるものを欲求することはありえない」
サトル「それはまあ、そうでしょうよ」

ソクラテス「では、自分の内にあるものを欲求できないのは、いったいどうしてなのか。それは、ひと言で言うと、欲求というものが、本質的に自分に欠けているものに対して向けられるものだからだ」
サトル「……えーと、すみません。言ってることが難しくて、意味がよくわからないんですけど」

ソクラテス「べつに難しいことじゃないよ。キミに食欲があるとき、キミはお腹を空かせているんだよね?」
サトル「はい」
ソクラテス「で、お腹を空かせているということは、自分の内に食べ物が欠けているということだ」
サトル「はあ」
ソクラテス「つまり、食欲が生じるのは自分の内に食べ物が欠けているときであって、もし食べ物が欠けていなければ食欲は生じないわけだ」
サトル「それはまあ、そうですね。……っていうかあたりまえでしょ」

ソクラテス「さっきぼくが言ったのはそういうことだよ。つまり、こういうことは食欲だけじゃなくて、欲求全般について言えるんじゃないかってことだ」
サトル「そういうことでしたら、まあたしかにそうだと思います」
ソクラテス「ところで、恋もまた欲求の一種である」

サトル「ええ、まあ」
ソクラテス「そうすると、恋もまた自分に欠けているものに向けられる、と言える」
サトル「そうなりますね」

ソクラテス「ぼくたちは自分に食べ物が欠けているときに食べ物を求め、それが自分のものになりつつあるときに快感を覚えるものだ。そして、食べ物を自分の内に取り入れると、食べ物への欲求は消滅する」
サトル「それはそうですね」

ソクラテス「同じことは、飲み物への欲求や、睡眠への欲求や、そのほかのすべての欲求についても言える」
サトル「それもそうでしょうね」
ソクラテス「さらに、さっきも言ったように、恋もまた欲求の一種である」
サトル「はい……」

ぼくは深く考え込んだ。