ソクラテス「と、言うと?」
サトル「料理が出てくるまで少し時間があったので、はじめに全員が自己紹介をすることになりまして。そのとき、最初に話をしたヤツが自分の会社名を名乗りはじめたので、場の流れでなんとなく、男連中が勤め先を言わなきゃいけない空気になったんですよ」
ソクラテス「ふーん。みんな就職しているんだ。うらやましいじゃないか」

ソクラテスは興味深そうに話を聞いている。

サトル「……えっと、そこはまあいいや。それからが本当に地獄だったんですよ。ぼく以外の男はなぜだかみんな一流企業の社員で、会社名を言うたびに、女の子たちはどんどん盛り上がっていったんです。それで、最後の最後にぼくの出番ですよ」
ソクラテス「ほう」

サトル「ぼくの会社はいわゆる中小企業で、普通の人は社名も知らないようなところなんです。それでも、自信がなさそうにしゃべったら負けだと思ったので、大きな声で堂々と、名前と所属を言いました」
ソクラテス「おお! それは男らしい立派な態度じゃないか」

ソクラテスは身を乗り出して拍手をした。

サトル「でしょ? でも、結果は予想どおりでした。いや、思ってた以上にひどかったな。みんな興味なさそうに『ふーん』と言って、それっきりです」
ソクラテス「へーぇ」

サトル「向かいの席の女の子なんて、それまで普通に話してくれてたのに、あからさまに態度を変えて、目も合わせてくれなくなりました。そのくせ、ぼくの隣のヤツのくだらない自慢話には、ノリノリで『えー、うそー!』とか『すごーい!』とか言うんです」

サトルの「思い出したくもない過去」(photo by milatas/fotolia)
サトルの「思い出したくもない過去」のイメージ(photo by milatas/fotolia)

ソクラテス「そうなんだ。……それで?」
サトル「それでって。ソクラテスさん、あなたまでそうやってぼくをバカにするんですか!」
ソクラテス「とんでもない。ぼくはただ話のつづきを聞こうと思っただけだよ」

ソクラテスは必死になって首を横に振った。

サトル「つづきなんてありませんよ。どうして怒っているかは、ここまでの話を聞けばわかるでしょ!」
ソクラテス「いや、ゼウスに誓ってわからないな。キミから次のことを聞き出すまでは」

また話がややこしい方向に流れそうな予感がしてきた。

ソクラテス「キミはどういう人と付き合いたいの? どういう人が好みなの?」
サトル「優しくて思いやりのある人がタイプですけど。それが何か?」

ソクラテス「そうすると、キミは向かいの席に座ったかわいい子のことを、優しくて思いやりのある人だと思っていたんだね? で、その子を横取りした隣の席の男に対して憤りを感じていると、そういう話なんだね?」
サトル「いやいや、そんなわけないでしょ! そもそも、あんな女に思いやりなんてあるわけありませんよ」

ソクラテス「優しさもないのかい?」
サトル「あたりまえでしょ! 一流企業の社員じゃないってだけで、あんな態度をとるんだから! あー、思い出しただけでムカムカしてきた」

ソクラテス「しかし、思いやりも優しさもないとなると、その女性はキミの好みのタイプと正反対の人だったってことになるよね?」
サトル「そうですね。結果的に、ですけど」

ソクラテス「それならキミは、魅力的に見えた女性の本性を瞬時に見破ることができて、ずいぶん得をしたわけだ。仮にキミが一流企業の社員だったなら、こんなふうにうまくはいかなかったろうね。うっかりだまされて、ぜんぜん好みじゃない人と付き合うはめになっていたかもしれない」
サトル「まぁ、たしかに。……でも、そんなの屁理屈ですよ!」

ぼくはあわてて首を横に振った。

ソクラテス「屁理屈? ぼくが言ってるのは本当のことなんだけど」
サトル「いや、だから……。『うわっ、その女サイテーだな』とか、『会社自慢で自分を売り込むような男はクズだな』とか、そういうふうに慰めてくれなきゃ、ぼくの気が済まないじゃないですか」

ソクラテス「あのね、サトルくん。恨みがましいことはあんまり言うものじゃないよ。恨みの心は、相手よりもまず自分自身を傷つけるものだから。ゆえにぼくは、恨みは根本的に卑しい魂のしるしだと主張する。それに、さっきキミが言ったことだけど……」

ソクラテスの言っていることはもっともだ。でも、だからこそ余計にカンにさわる。

サトル「あー、うっとうしいなあ! 言ってることは理解できますけど、ぼくが聞きたいのはそんな正論じゃないんですよ! ただ自分の言葉に共感してほしいだけなんです! わからない人だなぁ!」
ソクラテス「およよよ、怖いねぇ」
サトル「ほんっとムカつく!」

ソクラテス「困ったなぁ。キミがぼくのことをうざったく思うにしても、ぼくのほうはキミに好意を持ってるんだよ。いずれにしても、このままキミを解放するわけにはいかない。キミとともに正しい結論を見つけ出すまでとことん質問をさせてもらわなくちゃ、ぼくの気が済まないもの」
サトル「いや、ほんとにもう、この話は勘弁してください。何と言われようと、これ以上傷口をえぐられるのはごめんです」

ソクラテスは肩を落としてしょんぼりした。