こういうことをしていると、自然といろんな中国人がぼくたちのところにやってくる。「どうやってこんなマーケットを構築したんだ?」と聞きに来るんですね。彼らも商売をしたいわけだから、ぼくたちは彼らのためになる、役に立つようなモノを用意してあげればいい。
たとえば、中国から持ってきた商品をアフリカで売ろうとしたときに、彼らはまず、宣伝、広告をうちたいと考えます。ところがそれを請け負ってくれる会社が見つからない。そこでぼくたちは広告会社をひとつ作ってしまった。
すでに見込み客がいて競合する会社もないから、すごく有利な条件でのスタートでした。そのようにして始めた広告会社はいま大きく成長しています。
広告を出して商品が売れて、うまくいき始めた企業は次に何を考えるか。「現地駐在員を置きたい」と考えるんですね。そうしたら彼らが泊まるホテルが必要になる。だから作る。オフィスが必要なら、オフィス街を作る。そうしてどんどん拡がっていったんですね。
なぜ、多業種を経営するのか
そうやっていま50社を経営しているんですが、ぼくたちの内部でお金を回しているということが、すごく大きいんです。景気が悪くなったときに「ブロック経済」ができるからです。
景気が悪くなると本来なら、売り先や仕入先に困る状況になります。そんな時、確実に買ってくれるところ、仕入れさせてくれるところが内部にあるということは、会社にとってすごく大きい。
それに、多くの会社を経営しているからこそ、気づくこともあります。
ぼくたちは地方に小売店を持っています。また、そこにモノを運ぶ物流会社もある。その物流会社の景気がどうも良くない。一方で、地方の小売店が儲かっているという情報を得たとします。
経済の構造から言ってそれはあり得ない。小売店が良ければ、商品を届ける物流会社の景気もいいはずです。そこに気づいたぼくは、物流会社に対して戦略を立て直すように指示ができる。小売店と物流、両方やっているから気づくことができるわけです。この点も多くの会社を経営することのメリットです。
リーマンショックで業績アップ!?
少し話がずれますが、ぼくらの小売店の売上がよくなったのは、リーマンショックがきっかけでした。
小売店というのは、老舗で実績があれば、仕入れ代金を後払いすることができます。でも新規参入組のぼくらの店は、それをさせてもらえなかった。しかたがないので、先払いでどんどん払っていました。
そこにリーマンショックがやってきました。不景気で、仕入れ先の資金繰りも厳しくなってきたので、先払いするぼくらの店に優先的に商品を卸すようになりました。納入を後回しにされた老舗の店は、どんどん潰れていって、結果的にぼくらが残ってしまった。
こんな、ちょっとしたボタンのかけ違いで正解と不正解が逆転することが、アフリカではよくあります。ぼくらのようにたくさんの会社を経営するのは、そうした状況でのひとつの解決策でもあるんですね。
そんなふうに事業を拡げていくうちに、いろんな業種で50社を経営するようになった。亀山会長と出会えたのも、そのおかげかもしれませんね。
(後編の対談へ続く)