その月曜日が「ブラックマンデー」でした。翌火曜日の日本市場では全銘柄が一斉に売られ大暴落を起こしました。この日の下降幅はいまも越えられていません。

周囲からは「暴落を寸前で予知した大叡智」といわれたそうですが、山崎氏の見方はそうではありません。むしろ氏以外の周りの人たちが好環境に浮かれた酩酊状態にあった、自分は常識的な判断をしたまでだ、といいます。

しかしその背景には、投資家として賢者であるためには「自由を求めて自律的に生き、己に課した律法を持ち、健全な金銭観を保持」しようとする、強い志向を持たなければならないという氏の考えがあるのです。
(カッコ内同書161ページより)

バブル大天井の1ヵ月前に持ち株の全株を売り切ったとき

1986年頃から急上昇し始めた日経平均株価は1989年12月、38,915円の市場最高値をつけた。それがいわゆるバブル景気の大天井だった。1990年の年明けから株価は暴落に転じた。

1989年の夏、避暑地での休暇中に、山崎氏は3冊の本を読んだそうです。その3冊とは、森本哲郎著『ある通商国家の興亡』(PHP研究所)、ジョン・トレイン著『金融イソップ物語──“あと一歩”で儲け損なった男たちの話』(日本経済新聞社)、高坂正堯著『文明が衰亡するとき』(新潮社)。いずれも、人や国家の繁栄と没落を描いたもので、これらを読むうちに「これはみなオレの運命を予告している!」と考えずにはいられなかったそうです。

当時は、会社での担当部門の業績も良く、個人の金融資産も4年で4倍になるなど、いい状態にありました。しかし山崎氏は、この3冊の本が自分に「カネ儲け以外に有意義なものを見出さなければ没落する」と、強く警告しているように感じられたといいます。

そして休暇明け、氏は思い切った行動に出ます。8月から10月にかけて、全株を売り切ったのです。直後は株価がまだ上がり、前述のように12月に史上最高値となりました。悔しい思いもあったそうですが、それも少しの間のこと。1990年の正月明けから日本株は大暴落しました。ここでも氏の感覚、判断は正しかったのです。

まだまだ「おいしい」相場から一時的にせよ撤退するには、よほどの思い切りが必要ではないでしょうか。この点について氏はこういっています。

実は大天井直近が一番おいしい。その爛熟相場の旨みを食わずに少し前に売り切るということは、情報力とか投資技術などに関係なく自分の生活態度からくる。少々、おおげさにいえば、見識ある生活からくる
(同書174ページより)

山崎氏は、相場がいかに過熱していようともそれだけに没入することなく、市場とは一定の距離を置きながら、着実に資金を増やしていくことが重要だと説いています。そうした考え方こそが、周囲の熱狂をよそに冷静な判断を下せる要因なのでしょう。


 
本書は、50年を超える投資活動で膨大な金融資産を構築した現役投資家の考え方、行動のしかたを追体験できる稀有な本。

山崎氏は、「現役のビジネスパーソンのポートフォリオは本業における年収が中心に据えられていなければならないと考えている」と述べています。

やや逆説的に聞こえるかもしれませんが、株式投資にのめり込み過ぎず、本業を持ち、常識を保ち、自分を律すること。これが投資における「賢者」の心得なのです。