つまり元々の読書家は「本を読むとどういいのか?」なんて、いまさら聞かれても、日常だから……みたいになっちゃうと思うんです。僕はそうではないから読書の効果がわかる。それを書いたのがこの本だということです。
担当編集者の企画コンセプトもよかった。「もう読書法とか速読の本なんかいっぱい出てるんで、藤原さんは教育をやった人でもあるから、本を読むとなぜいいのか、という本にしませんか」と。
それは親が子どもに聞かれてもほんとに答えづらいことで、たぶん国語の先生でもなかなか答えられないんじゃないかと。「これに答える本がないからそういう本をつくりましょう」と。これがよかったんじゃないかと思います。
これからは「情報編集力」がカギになる
さて、この本にも書いてますが、僕がこうした講演で、必ずお話しすることがあります。それは、これからの時代は「情報編集力」が非常に大事になるということなんです。
日本の高度経済成長時代は1997年に終わりました。山一証券、北海道拓殖銀行が倒産して、バブルが崩壊した。翌98年から成熟社会に入ったわけです。経済的にいうと、1人あたりのGDPがこの年からグッと下がっています。藻谷浩介さんの本を読むまでもなく、それを示すデータはたくさんあります。
成長社会において求められたのは「情報処理力」でした。情報処理力というのは、正解があるという前提で、その正解を早く当てる力のことです。だから日本の学校教育は、情報処理力偏重、あるいは「正解主義」とも呼べるものでした。いままではこの能力が高い人がサラリーマンとしても教員としても成功してきたわけです。
ところが成熟社会に入ると、みなさんなんとなくお気づきのように、社会が複雑化して正解がひとつじゃなくなってくる。
いまみなさんが直面してらっしゃる課題もそうでしょうし、学校でもいじめの問題ひとつ取ったって正解がひとつなんてことない。ぼくは2020年台後半ぐらいからは、ほとんど正解がないような時代になると思ってます。
このような時代は、正解を当てる力よりも、いろいろな状況のなかで人と知恵を交流させながら、自分が納得し、かつ、関わる他者が納得できる解、正解じゃなく「納得解」と呼んでいますが、この「納得解」をたくさん紡ぐ力が必要になってきます。これが「情報編集力」です。
なんで「編集力」と呼ぶかというと、自分の知識、技術、経験を全部組み合わせなきゃならないからです。そのうえで、他人の知識とか経験もできたら手繰り寄せて、脳をつなげて、自分の脳を拡張して、問題を解決しなければならないからです。
その「情報編集力」をつけるには、読書がとても有効なんです。いまからその話をしましょう。
人生で体験することは四象限に分けられる
人生というのがどういう「象限」でできているのかを考えます。
これはマッキンゼーなんかがよくやる方法ですけど、ツー・バイ・ツー・マトリクスといって、ビジネスの分析ではほとんどこれが使われます。これを使って人生の体験を二軸で分けてみるとこうなります。
このマトリクスで右と左を分けるのは、ナマの実体験か、メディアを通じた体験かということです。それから上と下は、個人的な体験か、あるいは社会的・集団的な体験かで分けられる。このように、人生の体験は四つの象限に分けることができます。
「個人的でナマの体験」というのは、いままさに、みなさんがしていることですよね。わざわざ八重洲ブックセンターに来て僕と直接ふれあっている。これ、本を読んだだけの人とはまるで違いますね。それがここ(右上の象限)。
それで、「個人的で集団的な体験」は、みなさんが家族とか会社で体験するもの、要するに組織のなかとか、集団の一員として実際に体験するものがありますよね。それがここ(右下)です。
左下の象限が「メディアを通じた集団的体験」です。マスコミやテレビに接していればコマーシャルも見るし、ニュース番組を見ればコメンテーターの意見を聴く。そんなマスメディアを通じた体験がこれです。
最後になりましたが、左上がメディアを通じた個人的体験。これが読書とネットによる体験ですね。
「メディア的・集団的体験」が多い人は、自分の人生を生きていない
人生には何時間あるか考えてみます。人間が起きている時間が一日16時間くらいだとすると、365日で大体6,000時間ですね。仮にどんな人も、あと50年生きるとすると、30万時間あるということになります。この時間のなかでさっきの四象限のうちのどれかの体験をする。