知られざる苦難の時代

そうした幼少期の環境がネジザウルスという大ヒット工具の開発にどんな影響を与えたのか、さだかではありませんが、まんざら無関係とも思えないのは、商品開発において髙崎社長が「遊びゴコロ」を重視しているからです。

『ネジザウルスの逆襲』
『ネジザウルスの逆襲』

「もちろん、まじめに機能を追求する姿勢も大切なんですが、一方でちょっとしたアイデアをおもしろがる精神的な余裕も大事だと思うんです。『こんな工夫をしたら、お客さんも喜んでくれはるんとちゃうか』って、いろいろ想像しながら開発に取り組む。そうすると、発想の幅も奥行きも広がるんですよ」

「でも、いまどきそういう精神的な余裕って、なかなかもちにくいと思うんですが、どうしたらいいんですか」そう尋ねる私に、髙崎社長は少し考えてから口を開きました。

「プラス思考でしょうね。ものごとの悪い面をあげつらうんじゃなくて、よい面を見逃さないこと。そのほうが楽しいでしょ。楽しいと、よいアイデアも出てきやすいと思いますね」

とはいえ、ネジザウルスの大ヒット以前は髙崎社長も精神的な余裕をなかなかもてなかったといいます。傍目には順風満帆に見える髙崎社長のあゆみにも、余人にはうかがい知れない苦難の時代がありました。

転機となった名作との出会い

造船会社のエンジニアだった髙崎社長が、父と叔父が創業した家業を継ぐべく戻ってきたのは1987年のこと。当時、髙崎社長は32歳でした。

それから20年近い間に新商品を800アイテムほど開発しますが、ヒットといえる工具は生まれませんでした。なかには、それなりの売れ行きを示す商品もありましたが、胸を張ってヒット商品といえるものはなかったといいます。

また、家業に戻ってしばらくの間は人間関係の葛藤も経験します。髙崎社長に後継者のイスを奪われたと会社を去ってゆくベテラン社員、「東大出てるからって、この業界では通用せえへん」と理不尽に反発する取引先の人……。

転職してしばらくの間は工具に対して愛着を感じることもできず、自分は家業に向いていないのではないかと悩みを深めていたそうです。

そうして何をやってもうまくいかず、もがき苦しんでいたある日のこと、1つの出会いが髙崎社長に転機をもたらします。レンタルビデオ店から借りてきた映画『2001年宇宙の旅』でした。

1968年に公開されたこの作品は、巨匠スタンリー・キューブリック監督の代表作として知られ、ご覧になった方も少なくないでしょう。冒頭、類人猿が動物の骨を空中に放り投げると、それがくるくると回転して、やがて宇宙ステーションに変化します。

ネジザウルスRX
ネジザウルスRX

その有名なシーンを見た髙崎社長は、衝撃を受けました。動物の骨は、「道具」を象徴しています。つまり、宇宙ステーションを建設するまでに至った人類の進歩は、まさに道具によってもたらされたと解釈できるわけです。

「船舶に比べたら、家業の商いなんてちっぽけでしょう。他人様の役に立つという意味でも、工具より船舶のほうがよほど意義深いと思い込んでいたのですが、道具だって人類の進歩に貢献した功労者なんですね。工具業界にも、造船業に負けないダイナミズムがあるんやと、このシーンを見たときに気づいたんです。それからですね、工具に愛着を感じるようになったのは」

以来、「人間と道具の関係」を追求することは髙崎社長にとってライフワークになっています。

ネジザウルスという大ヒット工具が誕生した陰には、映画史に残る名作の存在があったのでした。


がっちりマンデー1(小) 髙崎充弘(たかさき みつひろ)
株式会社エンジニア代表取締役社長。1955年、兵庫県神戸市生まれ。東京大学工学部卒業後、三井造船株式会社に入社。米国レンスラー工科大学に留学し、修士課程卒業。87年、家業の双葉工具株式会社(現エンジニア)に入社。2004年から現職。02年に発売した工具「ネジザウルス」をシリーズ累計250万丁の大ヒット工具に育て上げた。13年より知的財産教育協会中小企業センターの初代センター長も務める。
株式会社エンジニア/プロフェッショナル用工具メーカー。1948年創業。製品は1000アイテム以上、オーダーメイド工具の販売先は1500社を超える。従業員30名。本社・大阪市東成区。