やがて内戦が激化するにつれ、政権は反体制派が優位に立つ地域の統治を放棄しはじめます。それによって、地方都市やシリア北部~北東部の地域は政権の統治が及ばない「空白地域」となり、そこに目を付けたのが「ISIL(IS、ISISなど)」でした。
ISIL形成の経緯と組織の概要(参照:同書P.260-263)
ここまでは概略として、同書の内容を簡潔にまとめてきましたが、本項では同書からより詳細な記述を引用形式でご紹介します。
2014年6月29日、シリア内戦で統治の「空白」が生じたシリア北部、北東部からイラクの反政府勢力が多い中部のスンナ派居住地域、北部のクルド人居住地域に、イスラーム教スンナ派の過激武装グループの「イラク・大シリア・イスラーム国」(ISLS)が「イスラーム国」(IS)と名称を変え、国家の樹立を一方的に宣言した。
同組織はイラクで数々の自爆テロを組織してきたザルカウィの「イラクのアルカイダ」を継ぐテロ集団だった。
「イスラーム国」は、泥沼の内戦状態にあるシリアでアサド政権が統治を放棄した北部のアレッポ周辺から、イラクのバグダード北方のディヤラ県までを領域とし、首都をシリアの古都ラッカに定めた。
イラク第二の都市モスルを陥落させ、イスラーム法に基づく「行政」を組織したとアピールした。シリア政府が統治を放棄した地域と、イラクの反体制派のスンナ派部族が勢力を持つ地域を結びつけ、形骸化した国境を無視して支配圏としたのである。
過激派が急速に支配領域を拡大できたのは、先に述べたイラク戦争と、米軍撤退によるイラクの分裂、シリア内戦の泥沼化といった要素のほかに、「アラブの春」以後の穏健派の挫折と過激派の台頭によるところが大きいことは、論を待たない。
(同書P.260より)
上記にでてきた主な都市の位置関係は、下記のようになります。
また、ISILの組織としての概略は次のようになります。
「イスラーム国」では、形式的にイスラーム法が強要され、反対勢力に対する虐殺と苛烈な支配により秩序が維持されている。
戦闘員の中核となっているのはイラクのサダム・フセイン時代の軍人や、スンナ派民兵、シリアの反政府勢力だが、兵士の半分以上がシリア、イラク以外の国の人間である。アラブ諸国とその周辺からが7割を占めるが、欧米諸国やチェチェン、中国の新疆ウイグルからも人が集まっている。
最高支配者と称するバグダディはイスラーム法を学んだインテリだが、自らをカリフと称し、第一次世界大戦後にイギリス、フランスがアラブ世界支配のために形成したアラブ社会(サイクス・ピコ協定に基づく体制)を否定した。
かつての大征服運動時期のような、カリフがイスラーム帝国の広大な領域を回復するというように、時代錯誤的な体制の復活を主張している。彼らにとっては、教団が大領域を支配した正統カリフ時代があくまで理想なのである。
ヨーロッパの分割支配、アメリカのダブル・スタンダードの中東政策、部族間格差の拡大、産油国が持つ矛盾点などが、アッラーが定めた社会秩序に反するとして、不満を募らせているのである。
(同書P.261-262より)
国際社会がISILへ打撃を与えられない理由
現在、国際社会はISILへは主に空爆を実行し、大規模地上軍の展開などは行なわれておりません(2015年5月現在)。空爆ではISIL壊滅へ結びつくような決定的打撃は与えられていないように見受けられますが、それはなぜなのか。その理由を同書から引用してみましょう。