日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2007/06/25 10:58
23日、名古屋のカルチャーセンター講師をつとめた帰りに熱田大神宮によってみた。
熱田神宮は、名古屋市熱田区にある神社。全国でも有数の歴史をもつだけでなく、天皇家の三種の神器のうち、草薙の剣が収められていることから、伊勢神宮に次いで、2番目に格式の高い神社であるとされる。
中日文化センターのある栄駅から、地下鉄名城線に10分ほど乗って神宮西駅で降り、ここから周囲をぐるっと半周して東門から入った。天気もよく、賑わっているかとおもいきや、意外と閑散としている。2組ほどのお宮参りと、中国語をはなすツアー客がいるだけで、境内はかなりすいていた。
本殿はかなり手前の柵に阻まれてよくみえないが、長く延びた破風(千木)があり、伊勢神宮と同じ神明造であることがわかる。しかし、これは明治時代に造りなおしたもので、古来からの様式ではないとのこと。他にみもるものもないので、宝物館を見学したが、こちらも期待に反して展示物は明治以降のものがほとんどで拍子抜け。
この熱田神宮の大宮司は、かつて古代豪族尾張氏の末裔がつとめていた。尾張氏とは、天皇家の先祖が高千穂に天孫降臨した後、大和で天皇家となるまでの間に分家した一族、とされる古い氏族。尾張氏のルーツは大和にあり、のちに今の愛知県に移ったことから、その地が尾張になった、という説もあるくらいだ。
しかし、鎌倉時代のはじめ、大宮司だった尾張員職という人物は、跡継ぎがいたにも関らず、「夢のおつげ」と称して大宮司職を娘婿の藤原季範という人物に譲ってしまう。実は、この季範、源頼朝の親戚。この日を境に熱田神宮の大宮司は藤原氏の末裔となり、鎌倉時代には幕府からも保護された。員職の息子は権宮司というナンバー2にまわり、以後それを世襲している。
古代から由緒のある熱田神宮だが、建物も宮司も、古代の姿を今に伝えているわけではないようだ。