人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

上杉氏ルーツの地

このエントリーをはてなブックマークに追加

2007/03/26 12:39

3月18日、京都府綾部市で一つの碑が建立された。高さ150cm、幅60cmの御影石製で、碑文には「上杉姓氏発祥之地」と大書されている。

上杉氏というと、越後の戦国大名というイメージが強いが、実はそのルーツは綾部市にあり、その場所は今でも上杉町という地名で残っている。ただし、京都とはいえ、綾部市は北部の丹波地区で、京都市からはかなり遠い。しかも、上杉地区は舞鶴市との境に近い山間部である。

上杉氏の始祖は、藤原氏系の公卿である、勧修寺(かじゅうじ)重房。鎌倉幕府は、源氏の直系が3代で滅んだ後は、朝廷から皇族を将軍として呼び寄せていた。勧修寺重房は、鎌倉幕府の6代将軍となる宗尊親王に付き添って鎌倉に下向し、その功で丹波上杉荘を賜った。以後、子孫は上杉を名乗って武士化し、室町時代には関東管領として、関東から新潟県にかけての広い地域に睨みを利かせていた。

しかし、山内・犬懸・扇谷・詫間の四家に分かれて内部対立を繰り返したことから次第に衰退し、戦国時代には新興の戦国大名である北条氏におされてその地位を失った。最後の管領だった上杉憲政は越後に逃れ、同地の有力武将だった長尾景虎に「上杉氏」の名跡を譲り渡している。景虎は、名門の名跡に感激し、長尾姓を捨てて上杉姓に改姓した。彼こそ、のちの上杉謙信である。

しかし、越後長尾氏は桓武平氏の一族で、上杉氏とは根本的に出自が違う。いくら正式に名跡を譲り渡したとはいえ、やはり、室町時代以前の上杉氏と、戦国以降の上杉氏は別の氏族とみた方がよさそうだ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ