人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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和邇一族

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2015/04/13 10:55

小野神社のすぐ北側に、小さな川が流れている。この琵琶湖に注ぐ川は和邇川という。川の流域は和邇地区で、ここにもまた、古代豪族の和邇氏がいた。



和邇川


ただし、ここが和邇氏の本拠地だったというわけではない。和邇氏は大和国添上郡和邇、現在の奈良県天理市和爾町付近を本拠とした古代豪族である。神功皇后に仕えた武振熊(建振熊、たけふるくま)を祖とし、小野氏とは同じ一族であるとされる。

古代ではサメのことを「ワニ」と言ったが、奈良盆地のため、この「わに」の由来は赤土を指す「はに」だとみられる。和邇一族は、のちに琵琶湖西岸のこの地を有したことから、この付近が和邇という地名となったものだ。

なお、和邇氏は「和爾」や「和珥」「丸邇」などとも書かれ、壬申の乱の際に大海人皇子(のちの天武天皇)に従って、村国男依(むらくにのおより)とともに美濃から近江に攻め込み、大友皇子を敗走させた和珥部君手(わにべのきみて)がしられる。

今では「邇」という漢字の各数が多いことから、「和迩」という略字が使われることも多い。地元の小学校は和邇小学校だが、江若交通のバス停は「和迩小学校前」。JRの駅名も和邇駅なのに対し、バス前面の電光掲示板の行先は「和迩駅」と表示されていた。



道路標識



和迩小学校前バス停
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