人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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小野一族のルーツ

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2015/03/25 09:05

この春は、滋賀県の湖西地区を歩いてきた。

古代豪族といういうと、奈良や京都を中心に、大阪の河内地区などを本拠地としていたというイメージが強いが、実は滋賀県の琵琶湖西岸地区にもいくつかの古代豪族たちがいた。

667年には天智天皇が都を近江大津に移す(大津京)など、当時琵琶湖の西岸は天皇家の勢力範囲のなかだった。この湖西地区を本拠とした古代豪族を代表するのが小野一族である。

古代豪族小野氏は孝昭天皇の子孫と伝える。孝昭天皇は第5代天皇で、いわゆる欠史8代(実在しないとされる天皇)の一人。この孝昭天皇の子孫に、大和国添上郡春日郷(奈良市)を本拠とする春日氏がいた。その一族で湖西地区に住んでいた春日氏が、小野を本拠として小野姓を賜ったのが小野氏の始まり。

607年、小野妹子が推古天皇の命で遣隋使となって隋に渡り、以後一族から多くの外交官を輩出するなど、小野氏は奈良・平安前期に朝廷の官僚として栄えた。

ルーツとなった小野地区は、湖西線で京都から近いこともあり、駅の周辺では宅地開発も進んでいる。小野駅の北1キロほどのところにある小野神社は、こじんまりとしたものだが、創立年代は不詳という古いもの。



小野神社1



小野神社2


今では、日本の餅作りの祖として菓子業界から信仰を集めている。
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