日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2014/06/30 11:08
さて、児玉駅付近にはとくに何もないため、ここから隣の丹荘駅に向かって歩いていくことにした。
農村の中の道を歩くと塙保己一の生家がある。以前から塙保己一の「保己一」という名前は気になっていたが、ここの地名が保木野であることに由来しているようだ。生家そのものは今でも子孫の方が住まわれている、ということで近くには塙保己一公園という小さな公園があった。
丹荘駅につくと、駅前になんとなく不思議な空間がある。あとで調べてみると、どうやらかつてはここから上武鉄道というローカル線が出ていたらしく、その廃線跡のようだ。
丹荘駅の住所は埼玉県児玉郡神川町植竹。では、「丹荘」という駅名はどこからきているかというと、武蔵七党の一つ丹党の荘園があった地域に由来する。丹党は古代豪族多治比氏の末裔で、天慶年間(938〜947)に丹治武信が武蔵国に流されたのが祖という。武信はのちに許されて帰京したが、孫の峯時が秩父郡石田牧の別当となって土着、以後武蔵国西部から群馬県にかけて広がった。八高線でも丹荘駅の次は群馬県の群馬藤岡駅である。
丹党は児玉党ともに武蔵七党の中では大きな勢力を持ち、一族はこの付近の地名を名字として名乗った。江戸時代の摂津麻田藩主青木家が丹党の子孫を称しているなど、丹党の末裔という武家は多い。
丹荘駅
丹荘駅の上武鉄道廃線跡