人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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児玉党と児玉駅──武蔵七党と八高線(2)

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2014/06/23 14:51

八高線の児玉駅があるのは、埼玉県本庄市児玉町。平成の大合併以前の地名は「埼玉県児玉郡児玉町児玉」で、いかにも全国の児玉さんのルーツ、という感じの地名だった。

平安時代に中央から地方官として降って来た有道氏一族の遠峯維行が、解任後もそのまま児玉に住み着いたのが児玉氏の祖で、やがて一族が広がって児玉党という巨大な同族集団に発展した。今では全国の児玉さんは、この児玉党をルーツにすると伝えている。

児玉党には、大きく家行系、資行系、経行系の3つの流れがあり、家行系は児玉郡、資行系は入西郡、経行系は秩父郡から上野国西部に広がって、それぞれ自らの住んでいる土地の地名を名字とした。

源平合戦では源氏方に属したことで各地に所領を得て全国にちらばり、備中の戦国大名庄氏や、肥後の戦国大名小代(しょうだい)氏が児玉党の一族なのをはじめ、江戸時代の豊前中津藩10万石の藩主奥平家も児玉党の末裔と伝えている。

しかし、児玉駅で降りても、とくに児玉さんのルーツを示すものは何もない。駅から少し離れたところに、山内上杉氏の家臣夏目氏や、北条氏の家臣横地氏などが居城した雉岡城という城跡があるが、この城跡も本丸・二の丸は児玉中学校、三の丸は児玉高校として利用されており、残っているのは城郭の一部のみ。そして、その一角には地元出身の偉人である塙保己一の記念館があった。




児玉付近



雉岡城趾

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