人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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千家家の由来

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2014/06/02 10:49

先日、高円宮家の次女典子さまの婚約が発表された。お相手は出雲大社祢宜の千家(せんげ)国麿氏。この「千家」という名字は珍しい。詩歌に詳しい人だと、戦前の詩人の千家元麿を知っているかもしれないが、初めて聞いたという人も多いのではないだろうか。

古代、出雲国には大和政権とは別に出雲政権があったとされる。この中心にあったのが、天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)が御子神生みを競ったときに、玉から生じたという天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫と伝える出雲氏である。
やがて出雲氏は大和政権のもとに入り、以後は代々出雲国造(こくぞう)を称して出雲大社の神官をつとめていた。しかし、南北朝時代に兄弟間の争いから「千家」「北島」という2家に分裂、出雲守護代らの仲介で、以後は両家の子孫が国造職をつとめた。明治維新後は両家とも男爵を授けられ、国麿氏は男爵千家家の直系にあたる。

千家家は明治以降、神官だけにとどまらず、政治家や学者を輩出したことで知られる。さきにあげた千家元麿も一族で、元麿の父尊福は西園寺内閣の司法大臣をつとめる一方、唱歌「一月一日」の作詞者としても有名。

ちなみに「千家」の由来は出雲市斐川町にある地名である。

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