人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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桜井城と桜井松平一族

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2014/04/21 11:06

豪雨の西尾を出て安城方面に5駅戻り、桜井駅で降りた。この駅の北方300mほどのところに安城市阿原という地名があり、そのすぐ北の小高いところを城阿原という。ここは碧海台地が舌状に突き出した地形となっており、その先端には城阿原という地名でもわかるように桜井城があった。



桜井城趾


桜井城主の城主は西三河に広がった松平氏の一族であった。もともとは小浦喜平次という人物が城主だったが、松平一族の親房が小浦喜平次を追って桜井城主となり、その跡を松平氏嫡流の長親の三男信定が継いだ。信定は家康の曽祖父の弟にあたり、以後は桜井松平氏を称している。
戦国時代になると徳川家康に従い、天正18(1590)年の家康の関東入国の際、家広が武蔵松山で1万石を領して大名となって武蔵に移り住んだため、桜井城は廃城となった。関ヶ原合戦後は遠江浜松5万石に転封。その後、各地を転々としちたの、江戸時代中期に摂津尼崎4万石の藩主となって定着した。
江戸時代は代々松平氏を名乗っていたが、明治維新後は一族のルーツである桜井にちなんで桜井氏と改称している。

桜井城の跡地には桜が植えられ、雨の中ほぼ満開の状態。また、城跡のすぐ横には、桜井松平一族4代の墓所があった。



桜の咲く桜井城趾



桜井松平氏墓所

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