日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2014/03/03 11:14
3月1日、新宿区立新宿歴史博物館で行なわれた「御先祖講座」の第1回目「名字からルーツをたどる」に講師として講演してきた。
新宿歴史博物館は、新宿区とはいっても、いわゆる新宿ではなく四谷にある。住宅地の中のこじんまりとした博物館で、周囲には江戸時代から続くお寺も多い。博物館に行く途中、それらの中の一つ、西念寺によってみた。西念寺そのものは、どこにでもある小さな寺だが、ここには服部半蔵の墓がある。
西念寺
服部半蔵の墓
服部半蔵とは伊賀忍者の頭領として知られる人物。半蔵というのは服部家代々の名乗りで、西念寺に墓があるのは初代の半蔵正成。服部家は伊賀の地侍の出で、天正10(1582)年、本能寺の変の際に堺にいた徳川家康が、伊賀を通りぬけて三河に戻る際に警護役をつとめたことから、その家臣となったものだ。
服部家は代々江戸幕府の伊賀忍者を取り仕切っていたと思われがちだが、実は2代目の半蔵正就のときに、部下との軋轢から伊賀同心が寺に立て籠もるという事件が起きて失脚。あとを継いだ実弟の3代目半蔵正重も大久保長安事件に巻き込まれ、子孫は幕府を離れて桑名藩士となっている。
なお、江戸城の半蔵門は、服部半蔵正成の屋敷があったことに由来する。