人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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浦上氏と赤松氏

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2014/01/20 11:20

大河ドラマ「軍師官兵衛」の第三回は、冒頭で黒田(小寺)家の養女となって室津の浦上氏に嫁いだおたつ(南沢奈央)が、婚礼の夜に赤松氏に襲われたところで始まった。ここで突如登場した浦上氏という一族は、戦国時代の下剋上の波に洗われた氏族であった。

浦上氏は兵庫県たつの市の地名をルーツとし、鎌倉時代末期頃から史上に登場する。南北朝時代には赤松氏のもとで活躍、赤松氏が守護となると浦上氏は守護代として勢力を広げた。そして戦国時代になると浦上村宗は守護赤松氏を凌ぐ力を持ち、永正18年(1521)には赤松義村を討つという下剋上によって、実質的に西播磨を支配していた。

ところが、村宗の二男宗景が隣の備前国に移って赤松氏から完全に独立したことで浦上氏は分裂してしまう。本家を継いだ村宗の長男政宗は、黒田(小寺)氏と結んで子清宗の妻として迎えたのが、ドラマ中のおたつだったのだ。

婚礼の夜に赤松氏に襲われた浦上本家はこの時をもって滅亡。その所領は備前に移っていた宗景が併合、やがて宗景は備前・西播磨から美作の一部まで支配する大名に成長したが、のちに家臣の宇喜多直家の下剋上にあって滅亡した。

その後は旧縁を頼って筑前福岡に移り、黒田家の庇護を受けたと伝えらている。

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