人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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八重洲とヤンヨーステン

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2013/09/30 16:04

将門の首塚から皇居のお濠に沿って南に歩くと、大手門がある。

内堀は、この先のパレスホテルの横で直角に交わる和田倉濠とつながり、和田倉濠は日比谷通りにぶつかったところで再び直角に曲がって日比谷濠となる。この付近の馬場先門を中心とした日比谷濠沿いを、かつては八代洲河岸といった。



和田倉濠


八代洲河岸


 八代洲河岸の由来となったのは、オランダ人のヤン・ヨーステン。慶長5(1600)年にリーフデ号で豊後国に漂着し、そのまま徳川家康に仕えて弥揚子(やようす)と名乗っていた。このヤン・ヨーステンの屋敷が濠端(河岸)にあったことから、「やよすがし」と呼ばれ、「八代洲河岸」という漢字があてられた。

 「やよすがし」はやがて「やえすがし」となり、漢字も「八重洲」に変化した。昭和4年、麹町区八重洲だった堀端一帯は丸の内に改称され、八重洲という地名は消滅した。

 同じ年、皇居側の正面口しかなかった東京駅に東口が誕生、付近はビジネス街として栄えるようになった。戦後の昭和29年には大丸東京店も開店、同年この付近は中央区呉服橋から八重洲に改称された。場所は東京駅の西側から東側に転じたが、25年振りに八重洲地名が復活した。


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