人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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平将門の首塚

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2013/09/24 17:19

先週紹介した神田明神には、大己貴命(おおなむちのみこと,大国主命=大黒様)、少彦名命(すくなひこなのみこと,えびす様)とともに、平将門を祀っている。

これは、承平5(935)年に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が、京から持ち去られて芝崎村にあったかつての神田神社の近くに葬られたことに由来しているのだが、一説には獄門に架けられた将門の首は、3日後に東方に飛び去って芝崎に落ちたのだともいう。その後異変が打ち続いたために、村人が塚を築いて供養したと伝える。

この将門の首塚は今でも残っている。半蔵門線大手町駅で降りてすぐ、皇居の濠の近くに林立するオフィスビルの谷間にぽっかりと空いた空間がある。ここが将門の首塚で、鬱蒼と茂った木の中に将門鎮魂碑が建てられている。



平将門の首塚



平将門の鎮魂碑


調査の結果、地下には石室があることがわかっており、関東大震災後、ここに仮庁舎を建てようとした大蔵省で事故などが相次いだことから、近隣の再開発でもそのまま残され、現在では史蹟将門塚保存会によって維持管理されている。

神田という地名は、この付近が「伊勢神宮の御田(みた=神の田)」だったことに由来するものだが、平将門の体(からだ)が訛って「かんだ」になった、という説もある。

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