人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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湯島聖堂と昌平坂

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2013/09/09 11:47

JRお茶の水駅の中央にある改札を出ると、目の前に神田川にかかる名所の一つ聖橋がある。昭和2年にできたこの橋を北に渡ったところにあるのが、橋の名前の由来の一つとなった湯島聖堂である(もう一つの由来はニコライ堂)。



湯島聖堂


湯島聖堂は元禄3年(1690)に五代将軍綱吉が上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の私塾を移転したのが始まり。寛政9年(1797)、幕府はこの私塾を幕府の直営とし、昌平坂学問所として開校。ここには幕臣のみならず、全国の俊英達が集って研鑽した。維新後、明治4年に廃止されたが、東京大学やお茶の水女子大学の源流となっている。

さて、昌平坂学問所では幕府の定めた学問として朱子学を講じており、学問所内には孔子廟があった。そもそも「昌平」とは、孔子の生まれた魯の国の昌平郷に由来しているのだ。



湯島聖堂の孔子廟


また、昌平坂は本来は学問所が移転してきた際にあった鳳閣寺との間の坂を指していたが、寛政9年の学問所拡張で学問所内に取り込まれてしまったことから、その南側の神田川沿い(現在の相生坂)を指すようになった。さらに現在では学問所東側の急坂(通称団子坂)となっている。



現在の昌平坂
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