人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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池上本門寺と池上氏

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2013/02/25 10:37

前回紹介した池上本門寺は、大田区池上にいた豪族、池上氏の屋敷跡に建立されたものだ。鎌倉時代初期に、この地の豪族だった池上宗仲が日蓮に深く帰依し、屋敷内に寺院を建立したのが始まり。その後、日蓮はこの地でが死去したことから、池上本門寺は日蓮宗の大本山となっている。

池上氏のルーツについてははっきりとはわからないが、藤原氏の末裔といい、宗仲は鎌倉幕府の御家人だった。しかし、幕府に仕えた番匠(大工の棟梁)だったとも、池上の地頭だったともいわれ、その詳細ははっきりしない。

この池上氏、実は江戸時代中期に再び史上に登場する。それが池上太郎左衛門幸豊である。幸豊は多摩川河口で当時は海沿いだった大師河原(川崎市川崎区)の海を埋め立てて海中新田をつくる一方、砂糖の製造や普及に尽力。

また、京都の公家冷泉家に和歌を学んで、江戸における冷泉門下の中心的に役割を果たし、老中田沼意次や、平賀源内とも交流があるなど、一介の豪農の域を超えた多彩な人物であった。

幸豊の開発した海中新田は池上新田と呼ばれ、現在も同地の字名として残っている。
池上幸豊については、平成12年に川崎市民ミュージアムで「大江戸マルチ人物伝−池上太郎左衛門幸豊」という企画展が開催され、200ページ以上に及ぶ立派な図録が刊行されている。



池上太郎左衛門幸豊の図録
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