人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

反正天皇陵はどっち?

このエントリーをはてなブックマークに追加

2012/12/17 10:51

先週紹介したニサンザイ古墳は、天皇陵には指定されていないが、二重濠の構造や、全国で8番目に大きいという規模もあって、実際には天皇の陵ではないかと考えている専門家も多い。

その候補としてあがっているのが反正天皇である。天皇陵に指定されていないことから考古学的な調査も行われており、平成24年にはその調査結果の現地説明会も行われた。

反正天皇は第18代天皇。仁徳天皇の子で履中天皇の弟にあたり、“倭の五王”の一人、珍とされている。没年は5世紀初頭の410年とされており、発掘で推定されているニサンザイ古墳の築造年代の5世紀後半ともあまり違わない。

では、宮内庁が指定している反正天皇陵はどこにあるかというと、ニサンザイ古墳の北、堺東駅近くにある田出井山古墳がそうで、地図でも反正天皇陵と書かれている。



反正天皇陵


しかし、全長290mのニサンザイ古墳に対して、田出井山古墳は約半分の150m弱しかなく、ここを反正天皇の陵とすると、百舌鳥耳原三陵(仁徳天皇・履中天皇・反正天皇の各陵)の中でも圧倒的に小さくバランスが悪い。

現在、天皇陵は管理する宮内庁によって発掘・調査が認められていないため、田出井山古墳の調査は行われておらず、考古学的な見地からみてどちらが本当の反正天皇陵であるかはわからない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ