人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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吉良氏と勝光院

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2012/11/26 09:39

前回書いた世田谷城の城主は吉良氏であった。この吉良氏とは、「忠臣蔵」で有名な吉良上野介と同じ足利氏の支流だが、直接の先祖ではなく別の系統である。

鎌倉幕府の重臣だった足利氏は、下野国と三河国に大きな所領を持っていたことから、分家した一族は下野の地名を名乗っているものと、三河の地名を名乗っているものがある。

吉良氏は三河国の吉良荘(現在の愛知県西尾市)をルーツとするもので、足利義氏の長男長氏と四男義継がそれぞれ吉良荘内に住んで吉良氏を称した。

長氏の子孫は今川氏を経て徳川家康に仕え、江戸時代に高家となった。この子孫が吉良上野介である。一方の義継の子孫は武蔵国に移って世田谷の領主となり、戦国時代には北条氏に従っていた。こちらも江戸時代は高家となって蒔田氏を名乗っていたが、上野介の事件ののちに吉良氏に戻している。

世田谷城から西に300m程歩き、世田谷線を渡ったところに勝光院という寺がある。



勝光院


勝光院は世田谷城主吉良治家が金谿山竜凰寺として創建したもので、戦国時代に勝光院と改められた。宮の坂駅のすぐ近くなのだが、駅そばを感じさせない閑静な寺だ。この寺の一角には、幕末まで続いた世田谷吉良氏代々の墓地がある。この日も生花が供えられていた。



吉良氏墓地
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