人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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多武峯内藤神社

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2012/11/05 10:58

新宿御苑のすぐ東側にある、多武峯内藤神社に行ってきた。

都営地下鉄大江戸線国立競技場駅の長い長いエスカレータを昇り、中央線のガードをくぐると、左手に新宿御苑がみえてくる。このすぐ東隣にあるのが、藤原氏の末裔である信濃高遠藩主内藤家が、祖藤原鎌足を祀った多武峯内藤神社だ。この神社の境内の片隅には駿馬塚という碑が建っている。



多武峯内藤神社



駿馬塚


徳川家康は江戸に入府してまもない頃、江戸城の西北の地で、家臣の内藤清成に対して、「馬で一息に回れる範囲の土地を与えよう」と言った。

清成は馬に乗ると、なんと、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷という地域を駆け抜けた。清成は言葉通りその広大な土地を賜ったが、肝心の馬は疲れて死んでしまった。そこで、清成はこの馬を大きな樫の木の下に埋めたという。

江戸時代後期の文化13年(1816)になって家臣が駿馬塚の碑を建て、明治5年に多武峯内藤神社に移築されているのだ。

江戸時代になると、この内藤家の領地内に甲州街道の宿場ができた。それまでの高井戸宿に比べて新しいことから、内藤家の新しい宿と意味で内藤新宿と呼ばれ、やがて内藤がとれて新宿だけになった。これが、現在の新宿の地名の由来である。

今でも外苑西通の西側の一角には内藤町という地名が残っている。



内藤町の看板
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