人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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木下川薬師

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2012/07/09 10:37

法事で葛飾区にある木下川薬師というお寺に行ってきた。「木下川」と書いて「きねがわ」と読むかなり難読のお寺で、正式には青龍山薬王院浄光寺という。



木下川薬師


室町時代、この付近は荒川右岸の墨田区東墨田の一部も合わせて「木毛河」と書かれ、やがて「木毛川」→「木下川」と変化し、読み方も「きけがわ」から「きねがわ」になまったものらしい。

そもそも現在の荒川は大正時代にできた放水路で、それ以前は木下川薬師も今の場所の北西600m、ちょうど今の荒川の流れている中にあった。放水路の開削のため今の場所に移動したもので、旧木下川村も荒川をはさんで分断されてしまったのだ。

この寺は、八代将軍徳川吉宗がしばしば鷹狩に訪れたことでも知られる。鷹狩は五代将軍綱吉の時代に生類憐みの令によって途絶えていたが、吉宗が復活したものだ。吉宗は伊勢国から綱差(獲物や餌の飼育係)の牧戸甚内を江戸に呼び、江戸東部の西小松川村に住まわせた。

そして、葛西筋といわれたこの方面でしばしば鷹狩を行い、その際には木下川薬師で食事をとることが多かったという。

牧戸甚内は吉宗の側近だった加納久通から「加納」の名字を与えられ、以後幕末まで代々綱差役を世襲した他、付近の新田開発を行うなど、葛西地区を代表する名家でもあった。
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