人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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保元の乱と平治の乱

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2012/06/11 15:31

視聴率の低迷が話題になっている大河ドラマ「平清盛」、画面の暗さもさることながら、話の複雑さに視聴者がついていけないような気がする。「平家物語」には登場人物が多い。それらをいちいち解説していては、見る方はわけがわからなくなってしまう。

さて、ドラマは半分をすぎてやっと保元の乱にたどりついた。今活躍しているのが信西である。小学校で読んだ子ども版の「平家物語」では、信西入道は憎々しげな敵役で、竹筒を咥えて地中にもぐるイラストが印象的だった。

この信西入道、藤原氏の出だが、摂関家とは別の藤原南家の末裔。藤原氏は二代目不比等の子の代に、北家、南家、式家、京家の四家に分裂し、平安中期以降は摂政・関白をはじめ朝廷の要職を独占していたのは北家の子孫である。

南家の子孫は武家となったものが多く、朝廷に残った一族もあまり出世できなかった。当代一といわれた学識を誇る藤原通憲も不遇で、一時は出世をあきらめて出家し、信西と名乗っていた。

さて、この信西が引き金となって、時代は摂関政治から平氏政権へと大きく回天していくことになる。

信西は保元の乱で藤原摂関家を蹴落として独裁を始めると、藤原北家一族(摂関家ではない)の信頼と源氏が反信西で結びついて平治の乱を起こし、信西を殺した。その直後に平清盛が反信西派を討ち、結果としては平氏のみが強大な力を持つようになる。

つまり、平清盛が強大な藤原氏を直接打倒して政権を樹立したわけではないのだ。

あまり細かなことに正確さを期していると、こうした大きな流れを見失いかねない。

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