人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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江戸の鈴木町

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2012/01/30 10:27

名字の多くは地名に由来している。これは、「○○に住んでいる△△さん」の、「○○」の部分が固定したものが名字だからだ。

しかし、中には逆に名字をルーツとする地名というものもある。たとえば、明治以降に開拓された北海道では、開拓者の名字を地名とすることがあった。現在の伊達市という地名は、この地を開拓した仙台藩主一門の伊達家に由来する。また、羊蹄山の麓にある京極町は、丸亀藩主の京極家が開拓したことによる。

本土でも、江戸時代に盛んに行われた新田開発では、開発者の名字や名前を冠した地名をつけた。こうした開拓地にはもともと地名がなかった。そのため新しく地名をつくる必要が生じ、開拓者に敬意を表して地名としたものだ。

もちろん、開拓以外でも名字から地名となったものもある。その1つが江戸・神田にあった鈴木町である。

江戸時代の旗本には鈴木家がなんと58家もあった。旗本屋敷は江戸城の周囲にあったが、駿河台の神田川沿いには鈴木家が多く、このためその付近は駿河台鈴木町と呼ばれたのだ。

水道橋から神田川の南側沿いに歩き、角(さいかち)坂をのぼったあたりがかつての鈴木町で、現在の地名では千代田区駿河台の一部。先日訪れてみたが、今ではビル街で、旗本屋敷の面影はない。



現在の千代田区・駿河台


江戸にはもう1つ京橋にも鈴木町があった。こちらは町人地で、名主源七が鈴木姓だったため、鈴木町と名付けられたという。現在の京橋2丁目付近。

なお、現在小平市にある鈴木町は、江戸時代初期にこの付近を開拓した小金井市の豪農鈴木家に由来している。
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