日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2012/01/10 11:46
8日、今年のNHK大河ドラマ「平清盛」が始まった。基本的には「平家物語」をベースとした話になると思われるが、初回をみた限りではかなり独自の解釈も多そうだ。
源平の合戦といえば「源氏と平氏の戦い」がメイン。しかし、「平家物語」のタイトルのように、「源氏」に対して、「平氏」ではなく「平家」ということが多い。この「平氏」と「平家」はどう違うのだろうか。
広義では「平氏」も「平家」も同じである。しかし、厳密には「平家」とは「平氏」の一部を指している。
古代、天皇家から離れて家臣となる際には新しく姓を賜った。当初は「清原」や「在原」など、その都度新しい姓を賜っていたが、奈良時代の終り以降は、「源」と「平」に限定された。こうして生まれたのが、源氏と平氏で、ともに天皇家の分家の子孫である。分家は何度も行われたため、源氏も平氏も祖となった天皇は何人もいる。
源氏、平氏ともに初めは公家として朝廷で活躍していたが、平安時代中期以降、朝廷の要職は藤原氏の一門が独占した。そこで、源氏や平氏の子孫は地方に降って武士化するものが多かった。
平氏は関東で武士となったものが多く、彼らは自分の領地を名字として名乗った。いずれ大河ドラマにも登場するであろう三浦氏や千葉氏はいずれもこうした坂東平氏の一族だ。
一方、伊勢国(今の三重県)で武士となった一族は朝廷に留まり、名字を名乗らずに「平」という姓のままで下級官僚として朝廷に仕え続けた。朝廷では藤原氏を「藤(とう)家」、菅原氏を「菅(かん)家」、大江氏を「江(ごう)家」などと呼んだ。従って、朝廷に仕えた伊勢平氏のことは「平(へい)家」と呼ばれたのだ。
つまり、「平家」とは平氏のうち、朝廷に仕え続けた伊勢平氏の一門を指す言葉である。従って「平家物語」は平氏全体の物語ではなく、清盛を中心として朝廷に仕えた伊勢平氏の物語である。