人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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東海道を歩いてみた(21) 興津宿〜江尻宿

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2011/06/06 10:34

興津宿はあまり残っていない。興津宿の入口こそ鍵型の道が残っているものの、宿場自体の遺構は本陣跡の碑が建っている程度。興津宿公園をという公園があったが、みるからに新しい。



興津宿公園


興津宿の次は江尻宿。「江尻」と聞いてもピンとこないが、次郎長で有名な清水市の中心街。宿場町の江尻町(のち周辺との合併で入江町に)と、港町の清水町が昭和9年に合併して清水市となり、さらに平成の合併で静岡市に編入されて、同市清水区になった。

この江尻宿、実は全く残されていない。清水市の中心街となっていることと、昭和20年の大空襲に遭ったことから今ではごく普通の商店街となっている。しかも、地方都市のご多分にもれず、町は閑散としている。

江尻宿を過ぎると、静岡鉄道の路線が近くを走るようになる。地方私鉄はJRと違って駅数が多く、ここからはいつでもリタイア可能だ。

江尻宿の先にある魚町稲荷神社でおもしろいものをみつけた。それは「日本少年サッカー発祥の碑」。この碑、サッカーボールの形をしているのだ。



日本少年サッカー発祥の碑


解説文によると、昭和31年に江尻小学校で初めて少年サッカーチームが誕生したとのこと。しかも、当時は「ボールを足で蹴ってはいけない」という校則があったというから驚きだ。

このあと河童のモニュメントのある稚児橋を渡ると、「河童のこしかけ石」という碑がたっている。碑文を読むと石が見つかったのは平成3年とある。江戸時代初期に河童が出たという伝説はあるようだが、この石とは直接の関係はなさそうで、よくわからない。



河童のこしかけ石


もう少し歩いて、草薙まで行ったところで日没でリタイア。静岡鉄道で静岡市に出ると、清水とはうってかわって人出が多い。この日歩いた距離は約27キロ。由比でいろいろと寄り道した割には距離のかせげた一日だった。
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