人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

坂本龍馬暗殺と近江屋

このエントリーをはてなブックマークに追加

2010/11/29 10:28

NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、28日に最終回を迎えた。龍馬暗殺である。

龍馬が暗殺された場所を寺田屋と勘違いしている人が多いが、寺田屋事件では九死に一生を得、京都・四条にあった近江屋で中岡慎太郎とともに刺客に襲われて絶命した。王政復古の大号令のわずか1ヶ月前のことである。

当時、犯人は新撰組といわれていたが、今では見廻組であるという説が有力。それでもなお、実行犯をめぐってはいろいろな説が提示されている。

事件のあった近江屋は醤油屋で、四条河原町一帯の大地主でもあった。龍馬の実家才谷屋が「坂本」という名字を持っていたように、江戸時代の大きな商家は、屋号とは別に名字を持っていたことが多い。

近江屋を経営していたのは井口家で、当時の当主は井口新助。土佐藩の御用達でもあったことから土佐藩士とのつながりが深く、土佐藩邸に事件を知らせたのも新助である。

新助はその後も尊攘派に肩入れし、鳥羽伏見の戦いでは新政府軍に軍資金や食料を提供している。明治時代には四条付近に一族の経営する商家が立ち並んでいた。

ちなみに、井口家の当主は代々新助を名乗っている。また、近江屋は現在なく、跡地には「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っている。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ